社会に一歩踏み出し、活動する人の声をとりあげる「ボランティアスイッチ」。
第 3 回は、 NPO 法人寺子屋共育轍(以下、轍)で活動する上杉直也さんにお話を伺いました。
上杉さんは、京都在住の 25 歳。数年前、人と対話する際の技法を学びたい、という思いから大学で心理学を専攻するも、途中で大学に行けなくなってしまいます。
その後、やりたいことはあるけれど、どうせ出来ないし…と無気力さとやけくそな気持ちがありつつ、大阪で土木の仕事を始めました。しかし、休日にバイクで移動中、足を骨折し入院してしまいます。
土木の仕事を極めつつ、結婚をして子どもを産んで―という人生を漠然とイメージしていましたが、事故の経験から、人生は思い通りにならないことがあるのだとわかり、「人間いつ死ぬかわからないから、やりたいことを残したまま死にたくない!」と踏ん切りがついたといいます。
そんな上杉さんは退院後、まずしたことは、ずっと行きたいと思っていたイタリアのヴェネツィアに旅立ったこと。この行動力が今後にも大きな影響を与えるのでした。
やりたいことを探し、実行する生活の中で偶然、母に「市民しんぶん」を読むようすすめられました。なんとなく手に取った市民しんぶんに掲載されていた、市民活動総合センターのボランティアガイダンスにヴェネツィアに行った時と同じ「謎の行動力で参加した」という上杉さん。
それと前後して、親戚の子どもと遊ぶ機会があり苦手だと思っていた子どもになつかれたことが「自分って、子どもと関わるの、意外とアリやな」と思うきっかけになりました。
これらの経験があり、ボランティアガイダンス後、しみセンのコーディネートにより児童館のイベントボランティアを体験。ここでも子どもに案外嫌われなかったことが自信になったといいます。
そして、継続して活動できるボランティアとして、小・中学生向けの寺子屋事業を行う轍で活動を始めました。轍の最初の印象は、今までしていた土木の仕事やコンビニ、居酒屋などのアルバイトとは異なり、人と対話することから始まる仕事(活動)だな、という印象を持ったそうです。
轍にかかわるようになり、 9 か月。上杉さんは、自分を含めた「先生」ではないお兄さん・お姉さんたちと子どもたちが共に学び、育ち合うことで、子どもたちの表情が変わることを実感していました。
そして、学校でも、家庭でもない、「地域」で、子どもたちが自分らしくいられる場やつながりを子どもたち自身で作られるよう、轍が場を提供することの意義を見出されているご様子でした。
現在は、ボランティアとしてではなくスタッフとして轍に関わる上杉さん。そろそろ人生の方向性を決めたいと考えたときにボランティア先である轍のスタッフになる決意をしました。
一旦は別の仕事につきましたが、いま轍に関わることは、上杉さんの根底にある気持ちが形になったのだといえます。それは、大学で心理学を専攻した時と同じ、「人と丁寧にかかわり、サポートしたい」という思いなのです。
今後は寺子屋事業やイベント事業を展開、拡大し、構想や夢を語るだけではなくしっかりと成果を出していきたいそうです。
京都市市民活動総合センター
伊原 千晶
みなさんも一度しかない人生、気になっていることにボランティアという形でチャレンジしてみませんか。
自分の中にある気持ちに気づき、新しい世界が開けますよ。