社会に一歩踏み出し、活動する人の声をとりあげる「ボランティアスイッチ」。
第 7 回は、1 月 29 日(木)に開催された「おとなのボランティアカフェ」ゲストで金融機関で勤めながら NPO 活動に取り組む、林田貴志さんに迫りました。
林田さんが、社会的な活動を始めたのは高校生の時。国際交流や英語に興味のあった林田さんは、伏見青少年活動センターで、アフガニスタンから逃れてきた難民の方の講演会があることを高校の掲示板で知り、参加したのが最初の一歩でした。
1 年後、高校 3 年生になり、大学受験が早く終わり時間ができたことで「何かしたい」と思い、伏見青少年活動センターに問い合わせました。偶然、自分の誕生日に在住外国人の方が来る BBQ イベントがあると知り、「楽しそう」と思い参加したそうです。
BBQ イベントでは、日本語以外の言語が話され、とても多様性を感じ、「こういうところに世界とつながるきっかけ、入り口があるんだな」と感じたといいます。それ以降、国際系のイベントに参加を続けるうちに、英語を話せる憧れの先輩から活動に誘われ、だんだんと裏方のメンバーになっていきました。
また、受験は終わっていましたが、通い続けていた予備校でチューターの方が NPO 法人京都子どもセンターの関係者の方で活動に誘われたりと、人から誘われるかたちで活動が展開していきました。
大学入学後も、さまざまな形で活動に関わるようになり、もう少し地域に根差す活動にも取り組んでみたいということで NPO 法人山科醍醐こどものひろばで活動を始めました。「子どもと関わりたい」という軽い気持ちで参加していましたが、大学生活をどっぷりとこの活動で過ごしました。
しかし、大学卒業の時期を迎えても、活動での追いコン(追い出しコンパ:先輩などの卒業を祝う飲み会・送別会)が、なぜかなかったそう。多くの人が大学卒業から就職の際に、活動から離れていきますが、林田さんは、就職後も職場が関西圏、住まいが京都市内のままだったため活動とのつながりが切れなかったといいます。
「活動から抜けられなかった」と笑いながらおっしゃる林田さんですが、「つながりがきれなかったこと」が現在でも活動を続ける要因の一つで、もう一つは「関わる人が魅力的だったから」とおっしゃっていました。
現在、仕事・子育て・家事・活動と非常に多忙な毎日を送る林田さん。とはいえ、活動をしていると苦しい時期はくるもの。林田さんはどのようなときに苦しさや難しさを感じたのでしょうか。「色々掛け持ちし過ぎて、一体何がやりたいんだ俺は。という感じになった時はあった」といいます。
林田さんのなかで、「自分の軸がはっきりしてる人はすごい人」という感覚があり、周りにそのような”すごい人”が多い中で、「自分は何者なのか?」と思うことが多かったそうです。これは活動を続けながらも、金融機関で働いていたり、子育てをしていたり、さまざまなことを同時進行で行い、さまざまなものに視野が向く林田さんならではの悩みかもしれません。
しかし最近は、様々な方との対話を通して、自分が何者であろうと、何屋であろうとも、「何のために行動していく?」という問いに対し、「子どもたちにどんな社会をつなげるか」、社会を作るために、何をすべきか、という視点で迷いながらも行動していこう、と軸が出来てきたといいます。
現在では、NPO 法人山科醍醐こどものひろばの理事を務め現場の活動だけでなく法人の運営や意思決定にもかかわる立場です。社会は一気には変わらないけれど、続けることが大切、とおっしゃっていました。
ご夫婦ともフルタイムで働き、ご夫婦で活動に参加。そして2歳の娘さんを育てておられる林田さん。日々の暮らしの中に「つくりたい社会」の視点を入れる。これが今後、必要な生き方のデザインなのかもしれませんね。
あなたも新しい一歩を踏み出してみませんか。春はもうすぐそこです。
京都市市民活動総合センター
伊原千晶