団体の存在意義の問い直しと世代交代・事業継承

掲載日:2024 年 7月 26日  


第 51 回 NPO スポットライトに引き続き、NPO の世代交代・事業継承の物語。
京都の子ども・子育て支援の NPO 法人として 24 年活動している「京都子どもセンター」の 2 代目理事長であり、3 代目へと理事長のバトンを渡した竹内香織さんに、世代交代・事業継承をテーマにお話を伺いました。

このページのコンテンツは、NPO 法人京都子どもセンター 竹内 香織さんにスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

京都の子ども・子育て団体のネットワーク組織として設立された NPO 法人

京都子どもセンターは、1989 年に発足した「京都府親と子の劇場協議会」を前身としています。京都では「親と子の劇場」という名称でしたが、「子ども劇場運動」として知られる活動は、1960 年代に、テレビをはじめとする間接的な経験に偏ることへの危機感から、子どもたちに劇や人形劇、生演奏のコンサートを見せたいと福岡県で会員制の組織がつくられたことが始まりでした。

子どもたちが優れた舞台芸術や文化に触れる機会と子どもによる自主的な地域活動を継続的に持つことを目指した活動が全国各地に広がり、京都府内でも 13 地域の「親と子の劇場」「おやこ劇場」のつながりづくりと活動推進のために「京都府親と子の劇場協議会」ができました。

その後、より公益的な子どものための活動を目指して、「京都子どもセンター」が設立され、2000 年に NPO 法人格を取得しました。
京都子どもセンター設立にあたっては、京都府内の「親と子の劇場」「おやこ劇場」のネットワークを絶やさないこと、1989 年から継承してきた事業「おやこ狂言会」を続けていくこと、そして青年の活動の場を保障することを柱としました。

老若男女+プロの狂言師、みんなでつくる「初笑いおやこ狂言会」

また、電話を通して子どもの心に寄り添うチャイルドラインの事業を立ち上げることも大きな目的の一つでした。

知って遊んでもっと京都を好きになる「京都部」
自分たちだけで仲間と助け合いながら過ごす「無人島1週間チャレンジキャンプ」

竹内さんの京都子どもセンターとの出会い~世代交代

子どもの頃から、「おやこ劇場」に参加者として関わっていました。小学校 3 年生の頃にそれまで住んでいた名古屋から父の実家に引っ越すことになり、そこは映画館もない田舎町だったので、母としては何か文化的なものに触れさせなければいけないという思いで参加させたようでした。
私自身、舞台鑑賞や野外活動が好きで、仲の良い友達といつも活動に楽しく参加していました。その中で運営を担うおとなの人達から色々と声をかけてもらい、イベントを企画したり、高校生の時に全国ネットワークの集会に参加したこともありました。大学に入ってからも、京都の友達に誘われて「親と子の劇場」に参加していました。

「京都子どもセンター」立ち上げのタイミングでは、私自身が30代で子育てをしていたため事業に関わることは難しかったのですが、こうした活動に関わりたいという思いはあったため、広報担当として副理事長に就くことになりました。
設立当初の常任理事の中では最年少だったので、次の理事長はあなたですよという雰囲気はありました。

「京都子どもセンター」という法人の中には、一見すると別々の事業が存在しています。それぞれが別組織であれば、もっと違う動きができるかもしれないし、見せ方も色々あるかもしれません。特に、チャイルドライン事業が形になってきたときに、それぞれの事業に共感して参画してくれている人と法人運営の間でズレが起きてきました。でも、「京都子どもセンター」という組織として、各事業が集まっているからこその価値があるのではないかと思っていたのです。

そこで、様々な事業をやっている「京都子どもセンター」の存在意義を可視化させようと、新しいビジョンとその法人全体を統括するような事業を立ち上げる目的で、私が理事長を引き受けることになりました。
子どもも市民の一人であり、子どもが主体であることを事業という見える形で社会に届けようとする「京都子どもセンター」を表現するために、法人設立 10 周年に「子ども@まつり」(子どもが主体となってつくるイベント)を、それまでの 10 年の中で出会ってきたいろいろな団体と一緒に開催しました。
その後も、「おやこ狂言会」や「青年部 KAMONASU」の活動、「チャイルドライン」以外に、京都の子どもの中間支援組織としての立ち位置を目指して助成金を活用したり、行政からの委託事業としてシンポジウムの開催や子ども・子育て支援団体のネットワークづくりなどに奔走しましたが、うまく組織化できず疲弊してしまいました。

中間支援組織から改めて舵を切り直そうとしたときに、「京都子どもセンター」は何のための組織なのかというところに立ち返り、ミッション・ビジョンそして事業の整理をして、「チャイルドライン」は独立した方が良いという結論になりました。こうした事業やミッション・ビジョンの整理とともに、組織運営の担い手も世代交代した方が良いと思っていましたし、周りにも伝えていました。

バトンを次のランナーへ

私が理事長を引き受けたときには、前の世代の方々から自由にやってほしいということも言われていました。
私から、次へバトンタッチする際にも「京都子どもセンター」の価値をその時にいるメンバーで再確認し、どうやったら無理をせずにできるかについて話し合いました。他の理事もバックアップすること、今までのやり方のまま継承しなくてもよいこと、みんなが残したいと思うものだけ残して手離すものがあってもよいことを合意しました。
私自身は、理事長・事務局長の役割について言語化して手渡すことができなかったので、「分からないことがあれば聞いてもらって答える」というスタンスを了承してもらって、今も理事として参画しています。

現在の理事会は、今のメンバーでのスタイルができつつあると思います。また、法人を立ち上げたときに 20 代だった人たちが 40 代になり、ファミリーとしてつながることができるプロジェクトも動き出しています。

個性溢れる競技で参加者全員が活躍できる「ぴーかも天下一運動会」

それから、私が理事長を引き受けたときも今も、その時にやれるやり方を探すための助けを京都の NPO 関係の人たちからたくさんもらいました。京都市市民活動総合センターをはじめ、京都の子育て支援の NPO のつながりや、NPO を支える人たちの厚みがあり、その支えの中で活動が続けられているのだと思います。
引き継ぎを含め、今のメンバーで分担しあってものごとを決めて、挑戦も成功も失敗もそのメンバーで背負っていく運営にしていきたいと思っています。
私自身、バトンタッチ前は理事長という役割や肩書に縛られていて、子離れできない親のような感じだった面もありましたが、今は理事や理事長でなくても「京都子どもセンター」の事業が好きで、その事業に関わることができると思えるので、肩の荷が下りました。

継承や交代の方法に正解があるわけではなく、何を継承してほしいのか、そしてそのバトンを受け取る側と渡す側がかみ合わないと成り立たないと思います。行っている事業の性質なども関係してくると思いますが、何を継承すべきかに合わせてやり方も変わってくるはずです。ですので、その法人とは何を目的に何を大事にしている組織で、何を残して引き継いでいくのかをじっくり話し合うことが重要だと感じています。


今回スポットライトをあてた団体・個人

NPO 法人京都子どもセンター 竹内 香織 (たけうち かおり) さん

前理事長(現理事)

1967 年名古屋生まれ。1976 年~父の実家・岐阜県中津川市でのびのびと過ごす。「おやこ劇場」との出会いはこの頃から。1986 年嵯峨美術短期大学入学で京都市へ。京都でも「親と子の劇場」で活動。
1999 年 12 月京都子どもセンター設立に副理事長として参画。広報を担当。2005 ~ 2019 年 NPO 法人京都子どもセンター理事長。
2015 年(公財)京都市芸術文化協会に入職。子どもの現場に文化・芸術の体験を届ける「ようこそアーティスト」等の統括を担当。

※ 個人の肩書や所属する団体は、執筆時点 (2024年7月) の情報です。

団体名 NPO 法人京都子どもセンター
代表者 則座 雅恵
所在地 〒600-8191 京都市下京区五条通高倉角堺町21 ウエダビル 206
団体について

様々な社会体験を通じて、子どもたちが自らの力を信じ・自らをとりまく環境に働きかけ、社会参画の機会をひろげることを目指したい!
のびやかで豊かな子ども時代を過ごすことのできる生活文化環境づくりを目指す NPO 法人です。
主な事業として「無人島1週間チャレンジキャンプ」をはじめとする青年部 KAMONASU の活動、「初笑いおやこ狂言会」などがあります。

電話 075-201-3490
メール info@kodomo-doki.org
Web サイト https://www.kodomo-doki.org/
Instagram https://www.instagram.com/kyotokodomocenter/

この記事の執筆者

団体名 京都市市民活動総合センター
名前 真鍋 拓司

副センター長補佐



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