向島ニュータウンの再生・向島地域の活性化に取り組む

掲載日:2023 年 6月 30日  


京都にある古くて “新しい” まち「向島ニュータウン」。ニュータウンの再生、向島地域全体の活性化のために、6 年前の 2017 年、「向島ニュータウンまちづくりビジョン」が策定され、地域と地域の事業者、行政によるまちづくり推進会議による様々な取り組みが行われてきました。推進会議の中心で活動を進めてこられた向島まちづくり情報発信グループの神門 正和(ごうど まさかず)代表と、NPO 法人向島駅前まちづくり協議会の福井 義定(ふくい よしさだ)会長にお話をうかがいました。

このページのコンテンツは、「向島まちづくり情報発信グループ」/「NPO 法人 向島駅前まちづくり協議会」 にスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

出典:「都名所図会」

向島(むかいじま)ってどんなところ?

“向島”と聞いて、多くの京都人が思い浮かべるのが、「向島ニュータウン」ではないでしょうか。第二次大戦後、大都市圏やその周辺に集中する人口の受け皿として、大規模住宅団地であるニュータウンが各地に造成されました。京都においても、洛西と向島にニュータウンが誕生しました。向島には、こうした戦後に開発された新しいまちといったイメージが定着していますが、かつては豊臣秀吉や徳川家康の居城「向島城」があり、現在も「向島本丸町」や「向島二ノ丸町」など、町名に当時の名残を残している、古くから人々が生活してきた地域でもあります。

一帯にはかつて「巨椋池」という広大な湖が拡がり、多くの島が点在していました。中書島、槙島などと同様、向島もこうした島々の一つで、向島城は巨椋池に浮かぶ水城であったそうです。豊臣秀吉による治水や水上交通路の整備などを目的とした築堤工事で、宇治川と巨椋池が分離され、向島は地続きの陸地となり、これらの堤は宇治や奈良を結ぶ街道となり、向島はその要所として栄えました。

今やオールドタウンと化したニュータウン
地域ぐるみで、まちの再生、活性化に取り組む

このように長い歴史を持つ向島ですが、1972 年に始まった「向島ニュータウン」造成により、京都や大阪などに通勤する人のベッドタウンとして、新しい住民を多く迎えてきました。しかし、そのニュータウンも 1977 年の初入居から 46 年が過ぎ、すっかりオールドタウンと化し、人口の減少、高齢化は京都市の全市域の平均を大きく上回るペースで進行しつつあります。こうした向島ニュータウンの再生、向島地域全体の活性化のために、6 年前の 2017 年、「向島ニュータウンまちづくりビジョン」が策定され、地域と地域の事業者、行政によるまちづくり推進会議による様々な取組みが行われてきました。2021 年に 4 年間のビジョン計画期間を終え、現在は住民が中心となって、引き続き、まちの活性化に取り組んでいます。

向島まちづくりのきっかけとなった或る出来事

1977 年、向島ニュータウンへの入居が開始され、歴史あるまちであった向島に新しい住民が移住してきました。その 2 年後には近鉄京都線「向島駅」が開設されたり、新たに小学校や中学校が開校し、図書館、公園なども建設されるなど、まちは発展をつづけました。しかし、2005 年になって向島駅前の空き地に葬儀場が進出するという話が起こりました。これに対し、地域の住民による「向島駅前まちづくり協議会」を立ち上げ、「向島駅前まちづくり憲章」を制定して葬儀場建設反対運動を展開しました。これが現在に至る向島のまちづくり活動のきっかけでした。

多世代、多文化、多国籍のまちが抱える問題

向島は今、中国からの帰国者やベトナム、ペルー、ブラジル、メキシコ、台湾など様々な国にルーツを持つ人も多く住む、多世代多文化多国籍共生のまちに変容しています。空室の増えた市営住宅に中国残留孤児の帰国等、海外からの移住者を受け入れてきました。また、留学生と日本人学生に住まいを提供しつつ、年間を通してさまざまなイベントを開催して入居者同士の国際交流も行われる施設として、ニュータウン内に「向島学生センター」が設置されています。こちらには現在、35 か国から 2 百数十名の留学生が暮らしています。このように国際色が豊かなまちになっている向島ではありますが、言葉やそれぞれの文化、生活スタイルの違いによるすれ違いやトラブルも問題視されるようになりました。また、まち全体の高齢化、少子化が進むほか、集合住宅特有の住民間のコミュニケーションや交流機会の不足も深刻な課題です。

「人の力で、まちはかえられる」

葬儀場建設反対運動に端を発した向島のまちづくり活動ですが、現在は今ご紹介したような向島が抱える課題を見据えながら、ニュータウン再生と向島地域の活性化を目的にさまざまな活動に取り組んでいます。「向島駅前まちづくり協議会」は 2017 年には NPO 法人化し、その中心的な役割を果たそうとして活動しています。

干拓地に人工的に作られたまち、向島ニュータウンは半世紀を経て様変わりしてきましたが、今、このまちを人の力で生まれ変わらせようと取り組んでいます。

スローガンは「人の力で、まちはかえられる」。私たち住民と地元の学生の協力も得て、【多文化共生】や【健康福祉のまち】などをテーマにさまざまな活動を展開しています。【多文化共生】では、ベトナムやペルーなど外国ルーツの住民を対象にした「京都向島日本語教室」や、中国からの帰国者とその子弟のための「向島・中国帰国者日本語教室」を開催しています。また昨年 10 月の向島まつりの前日は「向島文化の日」として、様々な国にルーツを持つ人たちによる民族衣装での踊りなどの催しを行いました。【健康福祉のまち】では、「向島ニュータウン健康福祉のまちづくり懇談会」や、市営住宅の空き室を利用した子どもたちの第二の家「藤の木セカンドハウス」など、子ども・若者や高齢者の居場所づくりも進めています。

「向島まつり」では、地元高校のマーチングバンドや和太鼓、ダンスユニットによるヒップホップダンスの披露など、さまざまな催しが行われます
老若男女が交流を楽しむ「元気バザール」

向島まちづくりポータルサイト「むかいじま だいすき」

向島のまちづくり活動において、その情報ハブとしての役割を担っているのが、向島まちづくりポータルサイト「むかいじま だいすき」です。このサイトは「向島まちづくり情報発信グループ」が運営しています。ウェブサイトのメニューには“向島まつり” “アオギリの植栽” “元気バザール” “たんぼラグビー” “朝市・午後市のお知らせ” “トンド焼き”等々、年中行事を多数掲載しているほか、単発で行われるイベント情報もお知らせしています。

たんぼラグビー会場となるたんぼでは、どろんこキッズ広場やたんぼカルタなど、親子が一緒にどろんこになって楽しめる催しも併催されます
ニュータウンの朝市風景 ニュータウン住民だけでなく、旧向島の人々はじめ大勢の人でにぎわいます
ポータルサイトにはさまざまなイベント情報のメニューが並んでいます

「向島まちづくり情報発信グループ」ではポータルサイトを運営する他にも、情報紙「向島まちづくり通信」やタウンマガジン「むかいじまだいすき」も発行し、地域の様々な団体と協働して、いろいろなイベント企画の実施に取り組んでいます。

これから

まちの住民、大学生グループの参加など、地域ぐるみの活動が着実に広がり定着してきました。10 年前から取り組んできた向島中央公園でのホタルの放流は、いまではホタルが自生するまでになりました。くみ上げられた地下水が流れる公園内のせせらぎで毎年行うホタル放流の夕べには、まちの外からもたくさんの人が来場します。また向島まつりは出展者と内外からの来場者で大変な賑わいを見せています。しかし、市営住宅住民の高齢化、空き家の増加に歯止めがかかったわけではありません。もっともっと魅力あるまちづくりを行って、かつてのように、再び若い人たちが流入してくるまちになることを目指したいと思います。

「向島まちづくり情報発信グループ」/「NPO 法人 向島駅前まちづくり協議会」 

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~今回スポットライトをあてた団体・個人~

( 順不同 )

■ 向島まちづくり情報発信グループ
ホームページ
連絡先 masakazugodo1951@yahoo.co.jp
代 表 神門 正和さん

■ NPO 法人向島駅前まちづくり協議会
ホームページ
連絡先 kosmotk@gmail.com 
会 長 福井 義定さん

※ 個人の肩書や所属する団体は、執筆時点 (2023年6月) の情報です。

団体名 「向島まちづくり情報発信グループ」/「NPO 法人 向島駅前まちづくり協議会」

この記事の執筆者

団体名 京都市市民活動総合センター
名前 近藤 忠裕

事業コーディネーター



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