Career Shift – しなやかに、ありのままに

掲載日:2021 年 4月 30日  


キャリアプラン、キャリアビジョン、キャリアパス、パラレルキャリア・・・。
最近、「キャリア」という言葉が世間に溢れかえっています。
加えて、女性の活躍推進やグローバル・ジェンダー・ギャップなどなど。
女性とキャリアを結びつける制度ができ、女性の生き方そのものが大きく揺れ動いています。

「女性の働き方」といっても、その内容はひとそれぞれ。
今回は、複数のNPO・市民活動団体で仕事をしてきた経験を持つ 熊倉聖子さん にスポットライトをあて、「女性のキャリアシフト」をテーマにお話をお伺いしました。

このページのコンテンツは、熊倉 聖子さんにスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

◆ 現在(第 3 キャリア)―「場づくり」と「新しい住まい方」

 熊倉さんは現在、「NPO 法人場とつながりラボ home’s vi (ホームズビー)」で仕事をしています。「 home’s vi 」はまちづくりや子育て支援でワークショップを実施し、ファシリテーションを行う、いわば「場づくり」の専門集団。最近では新しい組織の在り方として注目されている「ティール組織」に関する研究と実践を行い、企業経営者からも注目されている NPO 法人です。 熊倉さんが home’s vi で働き始めたのは 2018 年。バックオフィスを担いながら場づくりの現場に立ち始めていた熊倉さんに私が初めてお逢いしたのは、コロナ禍の直前である 2020 年 2 月に開催された「これからの時代のハッピーなくらしフォーラムin KYOTO 」でのことでした。
 フォーラムではコレクティブハウスの先駆的な取組みをしている方から事例を聞き、参加者ひとりひとりが「私にとっての幸せな暮らし方」を見つめなおしたり、会場にいる参加者同士で語りあったりしました。

 「コレクティブハウス」とは、今までの「家族」や「住宅」の概念にとらわれず、血縁にこだわらない人間関係の中で暮らす住まいのかたちです。部屋ごとに分かれ共同生活する「シェアハウス」とは異なり、それぞれが独立した専用の住居を基本にしながらも、みんなで使ういくつかの共用スペースを持ち、生活の一部を共同化するのがコレクティブハウスの特徴です。

NPO 法人コレクティブハウジング社 HP
 

 事例紹介者はTVや雑誌でも取り上げられるような方々でしたが、熊倉さんのファシリテートで、事例紹介者も参加者同士もフラットに話をしていた様子が強く印象に残っています。熊倉さん自身が自然体であるだけでなく、周りにいる人も自然体にしていく、熊倉さんにはそんな不思議な魅力があると感じました。

◆ 第 1 キャリア=「アートと社会」

 小さい頃の熊倉さんは自分の言いたいことを言えない子どもだったそうですが、ミュージカルを観て、自分の表現したいことを自由に歌ったり踊ったりしている世界があることに衝撃を受けたそうです。「ミュージカル女優になりたい!」という夢を描いていたものの、熊倉さんの中学高校時代にはオウム真理教による地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災など、社会のひずみを感じさせる事件もたくさん起きた時期。同級生たちが安室奈美恵をはじめとする “小室ファミリー” 一色に染まっていることに、次第に疑問を感じるようになりました。
 社会への問題意識が大きくなり、「もっとやらなきゃいけないことがあるんじゃないか」という思いと「表現することへの憧れ」が熊倉さんの中で自然と融合していきます。そうして大学では、社会におけるアートの役割や機能、存在のあり方を探求する「アートマネジメント」について学びを深めていきました。「アートマネジメント」の先駆けともいえる方にメールを送り直接会いに行ったり、国際協力をテーマに舞台をしたり、自分の興味あることにどんどんチャレンジしたそうです。

 そんな熊倉さんが大学を卒業して最初に就職したのが、東京にある「アートネットワーク・ジャパン」という NPO 法人。「芸術と社会をつなぐ」「文化芸術で未来を描く」という理念のもと、舞台芸術や国内外における文化交流の促進に取り組む様々なプロジェクトを実施している団体です。2000 年代初めは多くの NPO 法人が立ち上がりましたが、職員を雇用できる財政規模を持った NPO 法人は、極めて限られていました。学生時代に培った行動力やネットワークが、熊倉さんの第 1 のキャリアを切り開いたと言えます。

 熊倉さんは、「アートネットワーク・ジャパン」で当初、アーティストを高校や大学に派遣して芸術を通してコミュニケーションを活性化させるプログラムや、アートで社会課題に取り組む NPO の調査に取組み、全国アート NPO フォーラムの発足等に携わりました。その後、国際芸術祭の招聘事業を担当。当時国際的に緊張状態にあったパレスチナのアーティストと日本の高校生を交流させるプログラムを実施したり、海外のフェスティバルに参加して劇団をリサーチしたりしていました。さらに、地域の市民が参画しながら公設民営の劇場を立ち上げる事業も担いました。

パレスチナから招聘した舞台(東京国際芸術祭2004 アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ―占領下の物語』)

仕事が好きで、仕事が趣味。
自分が心底やりたいと思っていた仕事を任され、毎日深夜まで働き、様々な経験を積んでいきました。

 自分の興味があること、やりたいこと、解決したいこと、実現したいこと、それらに真正面から向き合えた 20 代。とても充実していたことが伝わってきました。

◆ 第 2 キャリア=出産と介護と「おおきなかぞく」

 そんな熊倉さんの生き方を一変させたのが、結婚・妊娠・出産のライフイベントと、突然の介護でした。第1子を妊娠後も働き続けていたある日、早産の一歩手前である「切迫早産」に。絶対安静の状態を余儀なくされ、熊倉さんはやむなく仕事を辞めることになりました。突然の “強制停止” に最初は「自分がやりたいことを何もできない」という思いでしたが、ゆったりと空を眺める毎日の中で、真逆の感情が芽生えてきたそう。
 そのときの不思議な感覚を、熊倉さんはこう話してくれました。

妊娠・出産を通して、自分には動物としての野性的な本能がプログラミングされていて、とても不思議だけどそれが自然なんだ、って感じるようになったんです。
私には子どもを育てられるチカラがあったんだ、って。 そんな時に、助産院の先生に『これからは家族のプロデューサーになるのよ』と言われて・・・。
それがすごく心に響いて、『家族のプロデューサー』になりたい、と強く思ったんです。

 さらに出産から間もない 2011 年、東日本大震災をきっかけに義理のお父さんの認知症が進み、介護が必要な状態となりました。介護と子育ての両方を担う状態を「ダブルケア」といいますが、当時は「ダブルケア」という言葉も一般的ではありません。“ 子育てしながらの介護 ” についてどこに相談すればいいのか、全くわからない状態が続いたといいます。

 しかも、介護の制度と子育て支援の制度は全く別の行政窓口。子育てサークルには、同世代のお母さんと乳幼児たち、介護の相談で高齢者施設に行けばお年寄りばかりの状態。家の中では義父と赤ちゃんがふれあい、お互いの存在を愛しく思い合っている姿があるのに、制度によって家族がバラバラに引き離されてしまう状態に、熊倉さんは疲弊していきました。

机の上には、赤ちゃん用品のカタログと介護用品のカタログが置いてあって。
生命力あふれる子どもの世話と、少しずつ死に向かっていく義父の介護、そのギャップに心が追いつかない自分もいました。
『家族のプロデューサーとしてなんとかしなきゃ』という思いもあって、だんだん自分自身がしんどくなっていったんです。

 そんな熊倉さんの第 2 の転機は、やはり、熊倉さんの行動力によって訪れます。国連が進める「持続可能な教育」のための「エコビレッジ・デザイン・エデュケーション」に参加したとき、「オープンスペース・テクノロジー」という手法を用いたワークショップを、初めて体験することになりました。

「オープンスペース・テクノロジー」とは、参加者自らが話したいテーマを提案し、その話に興味のある人が集まって自由に対話し合うワークショップ手法。創造的な対話の場を作り出すことができる手法として、今では自治体が市民とともに中期計画を話し合う場などでも用いられています。

 熊倉さんは思い切って勇気を出し「介護と子育て」というテーマを提案。すると、思いがけず多くの人がそのテーマに集まり、様々な想いや意見を出してくれました。家族の中でしか扱えないと思っていた問題に、まさに風が吹いた瞬間でした。

対話ができる、ただそれだけで、心が軽くなるし、風通しが良くなるなあって。

 この体験をもとに熊倉さんは「場づくり」に関わりたいという思いを抱き始めます。

「オープンスペース・テクノロジー」の手法を使ったWS。熊倉さんが伏見のまちづくり事業でファシリテーションをしている様子

 2014 年、京都に越してきた熊倉さんは、コミュニティ型コワーキングスペースの先駆け的な取組みでもある「 Impact Hub Kyoto 」の立ち上げに参加。

Impact Hub (インパクト ハブ) =2005 年にロンドンで始まった、社会に変革を起こしたいと考えている起業家のための世界的コミュニティ。現在では世界の 100 以上の都市で展開し、すべてがコラボレーションを通じて社会に対する持続可能なインパクトを創り出すようにデザインされています。その一つである impact Hub kyoto は「社会の変革、人と自然との関係の変革とともに自分自身の変革」をという理念で運営されています。

 Art を切り口に「これまでにない新しい道」を探る「 Impact Hub Kyoto 」には、これまでの概念にとらわれない、柔軟な考えや価値観をもつ人が集まっています。その運営に携わりながら、「場づくり」と子育て支援のプロジェクトを担い始めた熊倉さんは、そこで出会った若者や子育て仲間と一緒に、「おおきなかぞく」という取組みをはじめます。
 「おおきなかぞく」は団体でもサロンでもありません。月に 1 回ほど、みんなで地域のおばあちゃんのお家に集まって、畑で野菜を作ったり、陶芸をしたり、冬には育てた野菜で鍋を囲んだりする共同体です。赤ちゃん・子ども・学生・社会人・お年寄り・・・「食べること」をとおして、多様な世代が集い、ふれあい、対話をしました。

「おおきなかぞく」の様子

 「おおきなかぞく」の取組みを振り返ってもらった “語り” の中には、介護と子育てを同時に経験した熊倉さんだからこそ紡ぎだせる言葉が凝縮されていました。

“みんなの子ども” と “みんなのおじいちゃん・おばあちゃん”
手触りのあるものを、自分たちの手に取り戻していくこと。
そんな街があったらいいのにって思い描いていたけど、やろうと思ったらできるんだ。
介護も子育ても家族も、いろんな形があっていい。
“こうあるべき” という前提をもっと外していい。
いろんな暮らし方ができて、“当たり前” が変わっていくんだと思う。

 「おおきなかぞく」の取組みは、今は休止していますが、いつか再開したいと願っているそうです。 熊倉さんは、「 Impact Hub Kyoto 」で出会った人々とのつながりを軸に、第 2 のキャリアを築いていきました。この第 2 のキャリアが、「自身だけでなく周りの人をも自然体にする」熊倉さんの魅力の元となったのではないかと、私は感じています。

◆ これからのキャリア=???

 実は熊倉さんが home’s vi に関わりはじめたきっかけは「 Impact Hub Kyoto 」で home’s vi 代表の嘉村賢州さんに「うちの NPO に子育てしながら場づくりしている人がいるから、一緒にやってみたらいいですよ」と声をかけられたからなのだそうです。

若いときは “人生は自分でつかみに行かなきゃ” と思ってたけど、そんな余裕も自信も完全に失っていた時に声をかけてもらって・・・。ありがたい縁です。

今、熊倉さんは、home’s vi での「ティール組織」に関する学びを通して、どうしたら仕事でも生活でも、“自分のありのまま” を受け容れて、仲間や家族とお互いを活かし合う関係性や組織づくりができるのかを探求しているそうです。 また、「おおきなかぞく」を通して食への関心も強くなったことから、「 Slow Food Nippon 」の運営サポートにも取り組み始めました。

Slow Food Nippon」=本部をイタリアに持つ世界的な食の草の根運動団体「 Slow Food 」の一部で、日本国内でのスローフード運動を拡げるための団体。

取材の最後に、熊倉さんの仕事観を伺いました。

資格があるわけでもなく、これができると教えられることもなく。
その場その場で、“仕事” と “暮らし” に向き合ってきた。
今は働く女性としても母としても、「こうありたい」という理想と現実のギャップに日々落ち込んでいるけれど、自分の “出来ない” を認められるようになりたいなあ。

ティール組織の提唱者であるフレデリック・ラルーさんの言葉に “痛みがチカラに変わる時がある” というフレーズがあるんです。
この言葉にすごく勇気づけられています。

痛みをチカラに変えることができたら、“ 地に足をつけて、食を真ん中にした、地球規模の活動をしていきたい” と照れながら語る熊倉さん。第 4 のキャリアがもうすぐ始まる気配に溢れていました。

「Slow Food Nippon」と「アイヌ女性会議メノコモシモシ」が共催した「先住民族テッラマードレ アジア・環太平洋 in アイヌモシリ」/世界の先住民が北海道に集まった食のシンポジウム(2019 年)

<あとがき>
NPO・市民活動団体では、代表や設立者が注目を浴びがちですが、実は、事業や事務局を支えているスタッフも個性派ぞろい。「自分の興味あること、やりたいこと、解決したいこと、実現したいこと」に正直な人が多いと感じています。
熊倉聖子さんの働き方は一見、分野や業態を超える「キャリアチェンジ」のようにも見えます。けれども、お話をお伺いする中で、熊倉さんは、いつも目の前の仕事や暮らしや自分の気持ちに真正面から向き合いながら、ブレることなく、キャリアを積み上げてこられたことがわかりました。
熊倉さんへの取材をとおして、自身の今後のキャリアについても考える機会となりました。


今回スポットライトをあてた団体・個人

熊倉 聖子 (くまくら せいこ) さん

1978 年札幌生まれ・函館・美瑛そだち。東京女子大学卒業後、NPO 法人アート・ネットワーク・ジャパンに所属。東京国際芸術祭(元 F/T )の海外カンパニー招聘や国際交流・教育普及事業、公共劇場の指定管理運営等に従事。

出産と介護を機に退職。鎌倉・京都に移住し、青空自主保育や多世代の居場所づくり、Impact Hub Kyoto の立ち上げ等に参画。2011 年国連認証プログラム EDE(Eco village Design Education )修了。PCCJ パーマカルチャーデザインコース参加。

2018 年より NPO 法人場とつながりラボ home’s vi にてバックオフィスの IT 化やティール組織・ホラクラシーの実践を行う。2019 年より Slow Food Nippon の運営に携わり食文化の継承や食育事業のファシリテーターとして活動。2021 年からは北海道美瑛町と共に関係人口創出事業に取り組む。3 児の母。

※ 個人の肩書や所属する団体は、執筆時点 (2021年4月) の情報です。


この記事の執筆者

団体名 http://shimin.hitomachi-kyoto.jp/
名前 土坂 のり子

京都市市民活動総合センター

Web サイト https://www.facebook.com/shimisen


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