量子の世界への誘(いざな)い~夢の方程式に挑む~

掲載日:2021 年 3月 26日  


量子をご存知でしょうか?

女性の名前ではありません。「りょうし」と読みます。

量子というのは、粒子 (りゅうし) と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のこと。原子や分子を構成している電子や原子核といったナノサイズ ( 1 メートルの 10 億分の 1 ) あるいはそれよりも小さな、目に見えない世界です。

それらは目に見える世界を支配しているニュートン力学 (万有引力の法則で知られる古典力学) とはまったく異なった「量子力学」の法則に従って動いています。私たちの体の仕組みや、植物の光合成といった生命に関わるものから、さまざまな薬品のような化学物質まで、あらゆるものが量子力学の支配下にあり、非常に大きな可能性を秘めている分野です。

その謎を解くカギを握っているのは、「シュレーディンガー方程式」と呼ばれる方程式。1926 年、シュレーディンガー (1887-1961) によって発表された、量子の状態と時間的な変化を表す方程式です。

今回取材させていただいた認定 NPO 法人 量子化学研究協会研究所はこの方程式に挑む、世界的な研究者集団。代表の中辻博先生は、2004 年、80 年近く誰も解くことができなかったシュレーディンガー方程式の一般解法を世界で初めて発見し、その功績により2016 年 WATOC (World Association of Theoretical and Computational Chemists) からシュレーディンガーメダルを授章された、量子化学分野の第一人者。

今回は、中辻先生にたっぷりとお話を伺いました。

このページのコンテンツは、認定 NPO 法人量子化学研究協会研究所 中辻 博さんにスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

NPO 法人を選んだ理由

それではさっそく、シュレーディンガー方程式とは何か?というお話に入りたいところですが、その前に、いったいなぜ、化学研究者の方々が NPO 法人として活動されているのか、というところが気になってしまう職業病……。まずは NPO 法人を選んだ理由をお聞きしてみました。

【中辻先生】 量子化学研究協会研究所は、京都大学の教授であった私が退官することになった際、じっくり研究を続けられるようにと教え子たちが協力してくれて設立されました。

私たちの研究は非常に大きな可能性を秘めており、将来的には化学をはじめとしたさまざまな分野に恩恵をもたらすものです。けれども、方程式が完全に解けていない現時点では、直ちに利益につながるような「商品」がありません。そうなると、株式会社はむずかしい。さまざまな法人格を比較検討した結果、選んだのが NPO 法人でした。2016 年からは、寄付の税制優遇を受けることができる認定 NPO 法人となって活動を続けています。

総会の様子

NPO 法人として立つ

今、日本では短期的に成果や収入に結びつかない研究や芸術のようなジャンルが厳しい状況に置かれているというお話をよく耳にします。法人としても大変なこともあるかと思うのですが、それについてはどのように感じておられますか?

【中辻先生】 昔ニューヨークに住んでいたことがあり、そのころよくメトロポリタン美術館 (世界 4 大美術館の一つに数えられる) に通っていました。世界有数のコレクションを誇る同美術館は、NPO 法人、それからハーバード大学も NPO 法人です。さらに、アメリカで学生の就職先としてナンバーワンの人気を誇る Teach For America という団体も NPO 法人です。 Teach For America というのは、貧困層の教育格差をなくすための取組みを行う団体です。 Teach For America に就職すると、教員免許の有無にかかわらず一定のトレーニングを受けた後、各地の貧困地域の教員として派遣されます。よい教育の機会さえあれば、人種やお金の有無は能力と関係ありませんから、大きな成果を上げており、やりがいを感じて就職を希望する若者が多いのです。

これらの NPO 組織はアメリカの就職人気ランキングの上位に入っており、アメリカ中でもっとも優秀な学生たちが、世界的な超一流企業の内定を蹴って NPO への就職を希望する。これはすごいことだと思いませんか?

これらの団体は多額の寄付によって支えられています。調べてみたところ、アメリカには、自分が納める税金を何のために活用してほしいかを選べるシステムがあるようですね。

いずれにしても、私は先にアメリカでの NPO 法人を知っていましたので、日本の NPO 法人制度がずいぶん違うことに驚きました。もちろん一概には言えませんが、日本の NPO 法人は、どちらかといえば善意のボランティアで活動を行っている、という印象が強いように思います。それはそれで素晴らしいことですが、私たちは研究の質を保ち、さらに生活していく必要があります。

私は寝ても覚めてもシュレーディンガー方程式を解くことばかりを考えています。さまざまな直観や思いつきに従って、方程式へのアプローチを試みます。そうした試みは、失敗の方が圧倒的に多い。でもまれにうまくいったときの喜びは非常に大きなものです。

このように没頭しなくては、研究課題と向き合うことはできません。だから、直ちに成果が出なくとも、研究することで食べていける環境がどうしても必要なのです。私達の法人では、大学や企業に勤務して量子化学に関係する研究やその教育に携わる教授や研究者の方々と、研究所内では 2 人の若く優れた研究者が、研究の夢に人生を賭して頑張っています。幸い私たちの研究が認められ毎年文部科学省の科学研究費をもらうことができているので、研究を続けることができています。しかし、いつも、このように科学研究費がもらえるとは限りません。

アメリカのように、芸術や研究といったジャンルに寄付が集まるような仕組みが、日本にも必要です。認定 NPO 法人という制度がその一つだと思います。私達としては、純科学的に夢と好奇心を追求し、その結果として人の幸福に寄与する組織、またそのような研究や仕事にやりがいを求める若者を育む、大学や企業とは違った研究組織、を創ることを目指しています。そのような活動のよい先例となっていけるよう頑張らなくてはいけないし、ましてやこの法人を決してつぶすわけにはいかない、そんな気概をもってやっています。

定例シンポジウムの様子

シュレーディンガー方程式とは…?

さて、問題のシュレーディンガー方程式について、中辻先生から直接お話を伺えるというすごい機会をいただき、図まで書いて説明していただいたにもかかわらず、ド文系の筆者にはほとんど理解が出来ず……トンチンカンな質問を繰り返す筆者にも、最後まで優しくお付き合いくださった中辻先生には感謝しかありません。

(※ちなみに筆者の祖父は数学者でしたが、残念ながらまったく血を受け継ぎませんでした。自慢ではありませんが、高校時代の数学赤点の課題を泣きながら祖父に FAX で送り、返信してもらった長い長い回答をレポート用紙に写して提出したという思い出があります。)

 

でも、理解できたことは、シュレーディンガー方程式を解くことによって、あらゆる原子・分子の動きを正確に予測できるようになる、つまり、この方程式を化学/科学に応用できれば、たとえば、ある条件下において起こるべき物質の反応を狂いなく予想することができるようになる、ということです。

それがどのような恩恵をもたらすかというと、爆発が起こる可能性があるような危険な物質を扱う実験は避けて、シュレーディンガー方程式を組み込んだ計算機によって結果を予言したり温室効果ガスを排出しないエネルギーの開発のプロセス設計を、計算機を用いて行うといったことができるようになる可能性がある、ということ。そんな、人類が未来の夢として思い描いてきたようなさまざまなことの実現に、シュレーディンガー方程式がとても役に立ちそうです。

夢物語だと思われるでしょうか?でも、ニュートン (1642-1727) が木から落ちるリンゴからインスピレーションを受けて発見したといわれる万有引力の法則が、惑星の運行の正確な予測を可能にし、数百年の時を経て、小惑星探査機「はやぶさ」の数年がかりの惑星探査プログラムをも可能にしたことを思えば、上記のような未来もそう遠くはないような気がしてこないでしょうか。

(ちなみに、「地球の温暖化も止められるでしょうか?」とお尋ねしたところ「そのためには樹を植えるのがいちばんです。」と、意外にもアナログ (?) なお返事が返ってきました。中辻先生は植物の光合成の研究もなさっており、「あの精緻なシステムはいまだに人間には再現できていない」とおっしゃる口ぶりには、植物への敬意のようなものを感じました。)

 

中辻先生が発見されたシュレーディンガー方程式の一般解法は、まだ実用の段階ではなく、実際に科学の研究者や技術者たちが容易に使えるようにするためには、さらに理論を発展させて、誰もが正確に解くことのできる方法を完成させる必要があります。そのために、中辻先生と、量子化学研究協会研究所の研究者たちの奮闘は続きます。現在かなり手ごたえを感じるところまで来ているそうです。

シュレーディンガー方程式は、「化学を支配する方程式」と言われているそうです。私たちが生きているこの世界は、原子や分子が集まってできていますから、その世界の中で起こっている事柄を正確に理解したり、その変化を正確に予言したりするのに、実験を行って確かめるのではなく、この方程式を計算機を使って解く事によっても行うことが出来るはず、ということなのです。普段あまり意識せずに暮らしていましたが、近年の目まぐるしい情報社会の進歩も、こうしたさまざまな研究の成果の上に成り立っているのだということを、今回改めて認識する機会となりました。

Gaussian/SAC-CI 講習会の様子

寄付が未来をつくる

さて、認定 NPO 法人であり続けるためには、毎年一定の寄付を集め続けなくてはいけません。 NPO への寄付が依然としてあまり一般的でない日本では、寄付集めは多くの NPO が課題とするところ。量子化学研究協会研究所でも、やはりむずかしさがあるといいます。

といっても、こんなに夢や可能性のあふれる研究には寄付が集まりやすいのではないでしょうか?

「私もそう思います。これはあまり宣伝できていない私たちのせいでもあるのですが…なんだか言うのが恥ずかしくて……」

そんなシャイな一面もお持ちの中辻先生ですが、いえいえ、日本に寄付文化を根付かせるためにも、化学/科学の発展のためにも、ぜひしっかり寄付を集めていってください!

量子化学研究協会研究所には、定款とは別に「行動規範」というものがあり、その最初に次のように記されています。

「本研究所は、量子化学の研究とその普及に関する活動を行いその成果を国際的に公表することによって、科学技術の発展と人類の幸福に寄与することを目的とします。」

研究者の方々の大きな夢の一端に触れさせていただいたように感じた、取材のひとときでした。

JCS 理論化学シンポジウム(チェコ)

今回スポットライトをあてた団体・個人

認定 NPO 法人量子化学研究協会研究所 中辻 博 (なかつじ ひろし) さん

認定 NPO 法人量子化学研究協会 理事長
量子化学研究所(QCRI) 所長
京都大学名誉教授
東京都立大学客員教授

※ 個人の肩書や所属する団体は、執筆時点 (2021年3月) の情報です。

団体名 認定 NPO 法人量子化学研究協会研究所
代表者 中辻 博
所在地 京都府京都市左京区
団体について

・量子化学研究協会では、化学・生物などを構成する原子・分子の世界を支配する「シュレーディンガー方程式」の「正確な解法 (2004 年, 中辻) 」を始め、独創的な「量子化学」を使って、様々の自然現象の化学を、理論的に研究しています。
・大学や企業などの研究機関とは異なる、NPO の精神を汲んだ新しい形の科学研究のあり方を達成すべく励んでいます。
・自由の学風を尊び、個人の持つアイディアやオリジナリティーを尊重するとともに、研究チームとして互いに協力することによって、世界の化学研究に貢献し、ひいては人類の幸福に貢献することを目的としています。

【量子化学研究協会・研究所の具体的な活動内容】
・「シュレーディンガー方程式を正確に解く」理論の開発とその計算プログラムの作成
・光が関与する化学現象(光合成・ヒトの視覚など)や固体触媒反応の研究
・研究成果の発表(学術誌、学会発表など)
・機関誌「量子の世界」の刊行(ホームページで閲覧できます)
・公開の革新的量子化学シンポジウムの開催(例年4,5月頃開催, 誰でも参加できます)
・JCS (日本・チェコ・スロバキア)国際シンポジウムの開催 (“Friendship is our principle, science will follow with us.”: 研究者同士の国際的フレンドシップの育成を重視)
・プログラム講習会・若手研究者を育成する講習会

純粋な好奇心による科学的な基礎的研究を通して、人類の幸せに役立つべく願うと共に、研究者の交流や育成にも携わり、社会に貢献できるよう、日々奮闘しています。

電話 075-634-3211
メール office@qcri.or.jp
Web サイト http://www.qcri.or.jp/

この記事の執筆者

名前 吉田 智美

京都市市民活動総合センター事業コーディネーター



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