「冤罪というのは、誰にでも起こりうるものなんだ」

掲載日:2020 年 6月 26日  


無実であるのに犯罪者として扱われてしまう「冤罪(えんざい)」。罪もない人が「犯罪者」として扱われ、裁判や再審の末に「無罪」を勝ち取る姿を、ニュースでもたびたび目にします。長い年月を刑務所で過ごさざるを得なかった方々の時間の重みに想いをはせると、その理不尽さに憤りを感じることもありませんか?今回は、そんな冤罪被害者の「雪冤」※の支援をしている「えん罪救済センター」の稲葉さんにお話をお伺いしました。

※「雪冤」・・・罪の無実を明らかにして、身の潔白を示すこと。

このページのコンテンツは、えん罪救済センター にスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

活動を始めた経緯について教えてください。

私自身は法律の専門家ではなく、コンピューターを使った言葉の分析などの「情報工学」の専門です。10 年ほど前は「冤罪」という言葉の意味はおろか、裁判官と検察官の違いも分かっていませんでした
あるとき、知人の心理学の先生が、心理学者と法学者が一緒に刑事事件を考えるプロジェクトに誘ってくれたんです。「目撃証言がどれだけ正しいのか」を心理学的に判断したり、取り調べ映像を見て一般の人や裁判員が受ける影響がどれだけ違うのかを検証したり、「虚偽自白」(犯罪をしていないのに犯罪をしたと言ってしまった人)を心理学的側面から考えるプロジェクトです。
特に大きな事件になると「供述調書」も膨大なページ数になり、弁護士でさえも読み切るのに大変なようで、私の専門である情報工学を応用して、供述調書を分析してみることになったのです。

このプロジェクトの一環で、冤罪事件の当事者から話を聞く機会がありました。
その事件では、選挙違反があったとされて、ある地域の住民 13 人が起訴されました。実際は選挙違反の証拠は何もなかったのですが、取り調べで自白をした人も複数人いました。結局この事件は、「客観的な証拠がない」ということで全員に無罪判決が出されたのですが、長期にわたる勾留や厳しい取り調べが元で体調を崩したり、取り調べのつらさから逃れるために自殺未遂を起こした人もいたと聞きました。裁判をきっかけに、地域の中で軋轢も生まれ、家族と疎遠になった人もいたとのことです。

何も知らなかった自分にとっては大きな衝撃でした。「取り調べの中で勝手なストーリーを作り出し、裁判にかけるなんて。裁判ってそういうものだったのか」と愕然としました。

それまで「冤罪」は「特殊な人たちの間で起きる特殊なこと、疑わしいことを起こした人の間に起きる出来事」という感覚でした。でも、村人たちは普通に日々の生活をしていただけで事件なんて何も起こしていないのに、ある日突然、警察に容疑をかけられました。「冤罪というのは、誰にでも起こりうるものなんだ」と驚くとともに、科学者・技術者としてこの問題をほっておけない、と感じたんです。

この話を知り合いの心理学者にしたところ、科学や技術の視点から司法の判断を再検証している、アメリカの「イノセンス・プロジェクト」を紹介してくれました。「そんな面白いプロジェクトがあるのだったら、ぜひ見てみたい」と、私はニューヨークの本部を訪問することにしました。

イノセンス・プロジェクト とはどんなプロジェクトですか?

DNA 鑑定などの科学鑑定を使って事件を検証し、冤罪を晴らす支援を無償で行う民間の非営利活動です。ニューヨークで始まり、今では全米のすべての州に同様のイノセンス団体が設立されています。それらの中には、ロースクールに置かれたもの、元検察官やジャーナリスト、DNA 鑑定の専門家が立ち上げた組織などがあります。アメリカでは、イノセンス・プロジェクトの活動によって、多くの冤罪が明らかになってきています(※)。活動は司法制度にも大きな影響を与え、捜査機関とは独立した民間機関で事件の科学的調査(DNA 鑑定など)を実施するようになっている州もあります。

(※)イノセンス・プロジェクトのホームページによれば、全米で 367 人の冤罪が DNA 鑑定で証明されたことが紹介されている(2020 年 6 月現在)。また、このうち 137 人では真犯人が見つかっている(2018 年 10 月現在)。さらに、死刑が確定した後に実は無実であったことが証明された人の数は 21 人に上る(2020 年 6 月現在)

イノセンス・プロジェクトのホームページからの引用

プロジェクトのニューヨーク本部や、カリフォルニアのロースクールで活動するプロジェクトを訪問し、全米・海外にも広がっている様子を聞いたことで、「日本でもできるかもしれない」と思い始めました。帰国後、DNA 鑑定によって冤罪を晴らした著名な弁護士などとお会いし、日本でプロジェクトを立ち上げようということになりました。
そして、米国でイノセンス・プロジェクトに関わったことがある法学者、元・科捜研(科学捜査研究所)の研究員(いわば「科捜研の“男”」)、元・裁判官、心理学者などにご参加いただけることになりました。全国各地のさまざまな分野の専門家で構成されているのが、日本版イノセンス・プロジェクトである「えん罪救済センター」の特徴です。

法律や科学調査の専門家もたくさんいらっしゃるのに、なぜ “専門外” の稲葉さんが代表になられたのでしょうか?

私自身も「自分は法律のことはわからないので、代表は適任ではない」と思っていました。しかし立ち上げのミーティングで、「法律のことを知らないからこそいいんだよ」と逆に言われました。冤罪は捜査や司法の場で作り出されますが、司法関係者である弁護士や元・裁判官、元・科捜研のメンバーは、司法の仕組みに対して外から意見を言うことは難しい場合があるとのことでした。結果として、法律の専門家ではない私が代表をお引き受けすることになりました。
ちょうど私は、立命館大学で「学問と実践の橋渡し」をすすめるプロジェクトを主催していたこともあり、その活動の一つとして「準備室」を整え、2016 年 4 月には、非営利の任意団体として「えん罪救済センター」が歩みだすことになりました。

「日本版イノセンス・プロジェクト=えん罪救済センター」の特徴をもう少し詳しく教えてください。

アメリカのイノセンス・プロジェクトにはいくつかスタイルがありますが、「無実を DNA 鑑定で証明する」ことを掲げているところが多いと思います。日本では、DNA 鑑定に関わる事件も対象にしていますが、それ以外の科学的・客観的な証拠があれば、様々な手段で調査します。DNA 鑑定が効果を発揮する事件だけではないため、調べられる範囲も広くなります。
また日本では、起訴されたら「有罪率 99.9 %」と言われていることや、有罪が確定する前でも「社会罰」を受ける風潮もあることなどから、有罪になった人だけでなく「起訴された人」も支援の対象にしています。

しかし、準備室の段階から今までに 350 件以上の相談がありますが、無実を証明する上で十分な科学的・客観的証拠を集められないために、お断りをせざるを得ないものが多く、大変申し訳なく思っています。
裁判の記録を調べても十分な証拠が開示されていなかったのではと思う事件もあります。しかし通常、民間の非営利活動団体ではそれ以上の情報や証拠を集めることが難しいです。そのため、えん罪救済センターに多くの弁護士がご参加いただいていることはとても重要です。例えば、一般の民間団体だと勾留されている依頼者に面会をすることは難しいですが、メンバーの弁護士が弁護団に参加すれば、依頼者にお会いし直接話を聞くことができる可能性が出てきます。
また、DNA 鑑定、化学、心理学などさまざまな分野の専門家に参加いただいていることから、裁判で使われた証拠の適切さを中立的な立場から検討できる体制にあります。さらに、センター外の専門家との協力関係も広がりつつあります

「えん罪救済センター」が関わり、冤罪を立証できたケースはありますか?

民間団体が証拠を再検討することに限界があるという日本の事情などもあり、残念ながら、私達が独自に DNA 再鑑定などを行い、依頼者の無実を証明した、という事件はまだありません。ただ最近になって、センターが支援を決定した事件のうち、メンバーが弁護団の一員となり、研究者が意見を述べるといった活動を行った結果、無罪が確定した事件が 2 つ出ました。

一つ目は、 虐待による頭部外傷(いわゆる AHT )が問題になった事件です。
事件当時 1 歳 11 か月だった女児の頭部に暴行を加えて死亡させたとして男性が起訴されたのですが、2020 年 1 月 28 日に 無罪判決が言い渡され、その後確定しました。諸外国ではAHTの根拠となる理論に医学的エビデンスが欠けているのではないかということが問題になりました。このケースでも、検察側の提出した「医学的証拠」の根拠や証言のあり方が問題になりました。
また、この事件の弁護活動は、同様の事件に特化した冤罪救済組織である SBS 検証プロジェクトが設立されるきっかけのひとつにもなりました。

二つ目は 2020 年の 3 月 31 日に無罪判決が確定した「湖東記念病院事件(※)」です。

「湖東記念病院事件」
東近江市の湖東記念病院で 2003 年 5 月、入院中の男性患者=当時(72)=が死亡しているのを看護師が発見。滋賀県警は 04 年 7 月、人工呼吸器を外して殺害したと自白したとして、元看護助手の西山美香さんを殺人容疑で逮捕した。西山さんは公判で無罪を主張したが、懲役 12 年の判決が確定し、17 年 8 月まで服役した。

京都新聞 WEB ページからの引用

えん罪救済センター は 2018 年 1 月から支援してきました。このケースでは、 一人の女性が 15 年以上ものあいだ自由や尊厳を奪われました。この背景には典型的といえる「冤罪原因」がありました。

湖東記念病院事件の冤罪原因

  • 警察が予め犯人像を決め付けた上で行われた「見込み捜査」だったこと
  • 「供述弱者」(知的障害がある人や少年、外国人など、相手の言葉を理解する能力や語学力が乏しいため、自分の思いや意見をうまく表現できず、結果的に取り調べや裁判で自分のことを守りにくい人)への配慮を欠いた不当な取調べにより、女性に「虚偽の自白」をさせたこと
  • 自白に依存した裁判所の事実認定、 不十分な証拠開示(証拠隠し)、不適切な科学的証拠など

さらに、後進的な再審制度によって、無罪判決が確定するまでに非常に長い時間がかかり、司法による救済が遅延するという結果になってしまいました。

私がこれまで見聞きした米国や台湾の状況と比べると、日本の刑事司法制度では、中立性や透明性が十分に担保されていないように思えます。例えば、警察は犯人を捕まえることが仕事ですので、犯行を裏づけると思える証拠の科学鑑定を、科捜研という警察組織の中で実施すると、有罪の方向へのバイアスがかかった鑑定になる可能性があります。
そのためアメリカでは、科学鑑定を、警察から独立した機関が行っているところもあります。また、被告が無罪であることを示す証拠を検察官が意図的に隠した場合には、適正手続きの違反ということで、有罪判決の破棄につながると聞いています。

こういった制度を日本でも整備していくためには、市民が「中立性・透明性が大切だ!」と声を上げやすくなるよう、社会に発信していくことが重要だと思っています。「それは政治家の仕事だ」と思う方もおられるかもしれませんが、政治家は市民が求めるものがなければ動けませんから。

年に一度開催している市民シンポジウムの様子

これからの 3 年間で、注力していきたいことを教えてください。

マスコミ報道を見ると、「湖東記念病院事件」では、捜査官の不適切な取り調べがクローズアップされている気がします。しかし、捜査や起訴、司法の裁判は、司法制度にもとづいて組織として行われるものですので、捜査官一人ひとりの問題だと考えるだけでは、冤罪という「司法の間違い」が繰り返されることを根本的に防ぐのは難しいと考えます。

司法の判断において同じ間違いを繰り返さないためには、司法関係者だけでなく、市民やマスコミも、日本の刑事司法制度の課題を冷静に読み解いていくことが必要だと思います。またそのためには、イノセンス・プロジェクトのような海外の市民活動や、米国や台湾などで進んでいる司法制度改革の先進事例から学んでいくことが近道だと思います。

私たちは、無実を訴える方々の雪冤にむけた支援を続けるとともに、市民が「冤罪を繰り返さない仕組みを作ろう」という声を上げやすいように、海外の先進事例から学ぶことができる機会を増やし、日本の刑事司法制度に対するさまざま問題提起に取り組んでいきたいと思っています。

冤罪を科学的に証明するための調査や鑑定には、多額の費用が掛かることも少なくありません。
これらの経費をすべて一般市民や民間団体からの寄付で賄うのが、イノセンス・プロジェクトの「中立性」を保つ、もう一つの特徴なのだそうです。

稲葉さんの言葉で一番印象に残ったのは、「冤罪というのは誰にでも起こりうるもの」という言葉。もし私が、無実であるのに犯罪者として扱われてしまったなら・・・。
そんなときに「えん罪救済センター」があるとどれだけ心強いだろうと思うとともに、冤罪を防ぐための取組みにも、市民として声を上げていきたいと感じました。

今回スポットライトをあてた団体・個人

えん罪救済センター 稲葉 光行 (いなば みつゆき) さん

えん罪救済センター代表

立命館大学 政策科学部教授。

専門は学習科学、認知科学、情報科学、デジタル・ヒューマニティーズ。

「学びのコミュニティ」という視点から、人間や社会を深 く理解する「学習科学」や「認知科学」と言われる分野の研究を進めながら、特にインターネット上での「協調学習」を助けるコンピュータシステムの開発と活用を行っている。

※ 個人の肩書や所属する団体は、執筆時点 (2020年6月) の情報です。

団体名 えん罪救済センター
代表者 稲葉 光行
所在地 〒600-8127 京都市下京区西木屋町通上ノ口上る梅湊町83番地の1 ひと・まち交流館 京都 2階 京都市市民活動総合センター内
団体について

「えん罪救済センター」は、刑事事件の冤罪の被害者を支援し救済すること、そして冤罪事件の再検証を通じて公正・公平な司法を実現することを目指しています。米国で1990年代に始まり、全世界に広がりつつある「イノセンス・プロジェクト」の活動を参考にして、司法実務家、法学者、情報科学者、一般市民などの有志により、201641日に設立されました。

これまでに、無実でありながら刑事事件で有罪になったと訴える方から本団体に寄せられた事件再検討の依頼は、350件を超えています。それらの事件に対して、弁護士・法学者・法化学者などがボランティアで検討を行うという、無料の支援を提供してきました。

電話 090-210-10931
FAX 075-466-3362
メール ipj2015@outlook.com
Web サイト http://www.ipjapan.org/

この記事の執筆者

団体名 京都市市民活動総合センター
名前 土坂のり子

事業コーディネーター

Web サイト http://shimin.hitomachi-kyoto.jp/
Facebook https://www.facebook.com/shimisen


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