寄付ラボ 第 74 回寄稿

掲載日:2018 年 8月 24日  

寄付ラボファイナル、第 4 回目は「日本人と寄付に関する歴史的な考察」に関するコラムです。
寄稿いただいたのは、京都市学校歴史博物館学芸員の和崎光太郎さん。
今、じわじわと人気に火がついている、新進気鋭の歴史研究家さんです。
私たちにとってなじみ深い「学校」という観点で見た寄付の歴史です。

小学校と寄付

このページのコンテンツは、京都市学校歴史博物館 / 和崎 光太郎さん寄稿による記事です。

活動の様子 地域住民が出資した学校運営資金を保管した、明治期の金庫。京都市学校歴史博物館で常設展示中。

小学校の運営資金がどこから出ているのか、と聞かれると、多くの人が「税金」と答えます。では、この税金を払っているのは誰か?と聞かれると、国民」や「市民」、「府民」などと答えが返ってくるのではないでしょうか。 しかし、日本初の学区制小学校が誕生した明治 2(1869)年には、「国民」「市民」「府民」という考え方も、「公」という考え方すらも、まだありませんでした。あったのは、江戸時代的な「お上」や「京都御政府」(京都府)だけです。ゆえに、みんなでお金を出しあって公に資するという今日的な意味での税金もまだありませんし、そもそも税金を集めるための戸籍すらもありませんでした(戸籍法の制定は明治 4 (1871)年です)。

つまり、日本で小学校ができた頃は、まだ小学校を税金で運営するどころか、税金が制度化すらされていなかったのです。この状況は、明治 5(1872)年に学制が出され、全国に小学校が設置されていってからも、ほとんど変わりません。明治 6(1873)年に地租が改正され近代的な税制が始まりますが、国税と府県税が区別されるのは明治 8(1875)年、市制・町村制が施行されるのは明治 22(1889)年です。

では、小学校の運営資金はどこから出ていたのでしょうか。

高等学校の日本史や、大学の教育学部などでは、明治時代の小学校では授業料が徴収されていたことを学びます。しかし、地域によって差がありますが、授業料は学校運営資金の主たる財源にはなりませんでした。

 おおざっぱに言うと、明治中期( 1880 年代くらい)までの小学校は、ほとんどが地域住民の寄付金で運営されていました。もちろん全額ではありませんし、地域によってかなり差があるでしょうが、今日のような「小学校は税金で運営される公のもの」といった感覚はまだありませんでした。「おらが村の学校」的な小学校が、全国各地にあったのです。

その代表的な地域が京都市です。まさに地域が学校をつくり、学校が地域をつくって近代化を進めていったのが近代京都であり、現在の「学区」単位での自治活動は、その延長線上にあります(詳しくは、私と森光彦が執筆した『学びやタイムスリップ―近代京都の学校史・美術史―』をご覧ください)。

 

ただし、寄付金で小学校が運営されるということは、良いことばかりではありません。例えば、地域住民からの寄付で学校が運営されるということは、学校間の格差がかなり大きくなってしまいます。極端な例では、教員に給料を払うことができない地域では学校を運営できない、ということになります。この問題の解決策として、今からちょうど 100 年前の大正 17(1918)年に市町村義務教育費国庫負担法が定められ、国の力によって地方でも義務教育が行き届くようになっていきます。

また、小学校に寄付金が集まった背景には、小学校への寄付が自分たちの共同体の発展のためになるという前提、言い換えれば小学校で学んだ者の多くが大人になっても移住することなく地域コミュニティを形成していくという前提がありました。しかし、大正末期(1920年代)から都市部でサラリーマン世帯が増加し、さらに戦後の経済発展で引っ越しが頻繁かつ容易になったことで、この「寄付の前提」は大きく崩れ始めます。戦後に日本の主産業が第一次産業から第二次産業へ移行、さらに第三次産業へと移行すると、この「寄付の前提」はほぼ崩壊しました。みなさんの中で、自分の通った小学校区に今でも住んでいる人は、いったいどれくらいいるでしょうか。

 

このように、小学校と寄付との関係を歴史的にみてみると、日本の近代化が急速に進んだ明治期の小学校を支えた寄付と、現在の寄付、たとえば P.T.A を通した小学校への寄付が、まったく異なることがわかります。後者のほとんどが、地域の未来への投資としての寄付ではなく、今・ココの自分たちの子どものための寄付だからです。また、地域の見守り隊のようなボランティア活動も、将来への投資というよりも、目の前の今・ココの子どものための活動という意味が圧倒的に大きいでしょう。 このように、寄付と言うのは、一見とても美しい響きがあり、道徳的なイメージがありますが(そしてそれ自体は間違いではありませんが)、実は、歴史的にみると国家や社会の情勢と大きく関係しています。その関係の一端が、小学校と寄付との関係を学ぶことで、より具体的にみえてくるのではないでしょうか。

 

和崎 光太郎

京都市学校歴史博物館

和崎 光太郎(わさきこうたろう)さん

京都市学校歴史博物館学芸員。
専門は日本教育史。京都教育大学などの非常勤講師も兼務し、研修会・講演会の講師を年間 10~20 回ほど務める。
著書は、『明治の〈青年〉―立志・修養・煩悶―』(ミネルヴァ書房)など。

京都市学校歴史博物館

京都では、明治 2年(1869年)に、日本で最初に番組小学校とよばれる学区制の小学校が 64 校つくられました。
 京都市学校歴史博物館は、番組小学校に関する資料をはじめ、京都市の学校に遺された教科書や教材・教具などの教育資料、また卒業生などが学校に寄贈した数々の美術工芸品を収集・保存して展示しています。


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