寄付ラボ 第 21 回寄稿

掲載日:2015 年 6月 26日  

あなたは「寄付」をしたことがありますか?
実は 2013 年「寄付白書」の調査では、46.7% もの市民が「この 1 年間に金銭による寄付を行った」と回答しているのです。
では、私たちはどんな時に「寄付をしよう」と思うのでしょうか?

今年度初回となる第 21 回は、「寄付ゴコロの芽生え」をテーマに、お二人から寄付に関する思いを執筆いただきました。

寄付ゴコロの芽生え (2)

このページのコンテンツは寄稿記事です。

活動の様子

「正当な思いはきっと通じる」

「正当な思いはきっと通じる」。新聞記者をしていると、そういう事例を何度も耳にしたり、経験もしたりする。願望でもあるが、「寄付集め」にも共通するかもしれない。

2014 年 11 月に京都市下京区の渉成園で「市縁堂」というイベントがあった。
七つの NPO 法人や市民団体が寄付を来場者に呼びかける場で、私は関連講座の講師をしていた流れでたまたま傍聴したのだが、ある団体の発表を聞いて、思わず財布を取り出してしまった。

理由は、発表内容に共感したからに尽きる。
公的な支援にはない独自性や先見性が感じられたし、発表者の分かりやすい語り口からやさしさや誠実さが伝わってきた。私は受益者にはあたらないが、活動の成果が十分に想像できたのも大きかった。

市民活動の根源は、問題解決への純粋な思いだろう。それが本当にニーズと合致しているか。独りよがりや自己満足ではないか。理想を実現させる力量を備え持っているか―。「やっていることは正当か?」と、私はつい批判的に見てしまう。
市縁堂のような公開の場が活動の担い手を鍛える機会になればいい。

日ごろ、NPO 関係者の発表を聞いて気になるのが「カタカナ語」の多用だ。

「ファンドレイジング」の意味が分かる人はほとんどいない。ファシリテーター、アウトプット、エンパワメント…。「?」。分かりやすい日本語で説明した方が、幅広い市民に共感が広がるだろう。

寄付は「同情」や「お付き合い」でするものではない。そんなことをしたら、団体のためにも社会のためにもならない。
ただし、こちらも共感した「思い」に対しては「応援したる!」といった心意気くらいは持ちたい。サラリーマンが出せる金額なんて知れたものだが、それが活動資金の足しに少しでもなるのならうれしい。


日下田 貴政

京都新聞社編集局報道部次長

日下田 貴政(ひげたたかまさ)さん

1995 年、京都新聞社入社。文化部暮らし担当記者などを経て、2014 年 5 月から報道部で市民版担当デスク。

京都新聞社

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