寄付ラボ 第 39 回寄稿

掲載日:2016 年 8月 26日  

「自分たちのまちの大切な文化を守り、伝えたい!」そんな活動のために寄付をあつめようと試みた団体が、
直面したのは・・・。

「寄付」は、何のために、どうやって、誰が集めるのか。そして「寄付でなければならない理由」は?
チャレンジする事で気づく「自分たちにとっての寄付」の意味とは?

後悔と苦い経験から見つけた、次へのステップです。

「寄付ありき」ではうまくいかない

このページのコンテンツは寄稿記事です。

活動の様子

かつて、理事を務めていた NPO 法人で寄付を募ったことがある。 しかし、成果が上がらなかった上に、 NPO において寄付を集めることの意義を他の理事たちにまったく伝えることができなかったという後悔がある。 そんな、寄付にまつわる苦い経験談について触れたいと思う。

私は数年前、京町家や京都の文化を後世に伝えることをミッションとする NPO の設立にかかわり、そのまま副理事長に就任した。 設立当初は新聞等マスコミにも取り上げられ、華々しいスタートであったが、組織の財務構造は脆弱で、人件費はおろか家賃の支払いにも事欠く有様であった。

それでも、事業が順調で、そこから得られる収入があり、また家賃の滞納も理事長でもある家主の厚意で大目に見てくれていたことと、キャッシュフローに問題はなかったこともあり、その問題は棚上げになっていた。

あるとき理事長が、「グッズを売って収入源にしよう」と、半ば“勝手に”お菓子や手ぬぐいといったグッズを作り、受付に並べて売ったり、管理している建物の来場者に募金をしてもらうための箱を置いたりし始めた。 それらは話題づくりにはなるかもしれないが、資金不足や団体のミッションを社会に伝えていくことについての根本解決にはならないと私は考え、京都の文化としての京町家の価値を市民や観光客等に訴えかけ、社会全体で支えるしくみをつくるのとともに、役員たちに寄付を集めることの意義をわかってもらおうと、京都地域創造基金の「事業指定助成プログラム」にも応募し、 200 万円の寄付を集めようとした。

しかし、寄付は集まらなかった。 いや、集める力がなかった。その大きな理由は、寄付のお願いに行ったり、寄付行為に係る諸々の作業を自ら進んでやろうとする役員がいなかったからである。 つまり、役員たちが「本業」や事務局仕事をしながら寄付集めに回るということはハードルが高すぎたのだ。 そしてもう一つは、家主の「所有物」である建物を維持するため(=家賃を払うため)に寄付を集める、ということについて難色を示す意見があったことである。 結局、資金不足を解消することができないまま、家主が個人の事情で建物を手放すことになり、法人は解散に追い込まれた。

今振り返ると、「寄付を集める力がなかった」のには、次のような要因があると考える。まずは寄付をどのように集め、集めた寄付金をどのように使い、その成果を寄付者にどのように伝えるかという戦略がなかったことである。 次に「なぜ寄付なのか」を役員間で共有できなかったことである。 家主と法人の関係をあいまいなままにしてきたことも大きい。 そして、前述したことのために、業務全体の中で、寄付集めのプライオリティが低かったことがある。 もともと事業型 NPO の性格が強かったこともあり、「寄付集めよりは事業収入」という意識が役員の間に強かったこともあるが、その事業収入も中途半端で、固定費をまかなうには不十分であった。

今日、クラウドファンディングや「ふるさと納税」が普及したことで、寄付に関するハードルが下がり、その集め方も洗練されてきたように思えるが、寄付で集まったお金で何を行い、どんな目的を達成するのかを、寄付者に向けて語りかけるのが寄付集めの基本であることに変わりはない。 この失敗の経験を活かし、今後、理事を務める NPO の寄付集めで貢献できればと考えている。


匿名

匿名(とくめい)さん

 現在、二つの NPO 法人で理事を務める。かつては自身で NPO 等団体を立ち上げ、旗振り役を担うことが多かったが、現在はどちらかといえばサポート役に回る方が多い。一方で、空き家を改修してアートで地域をつなぐ活動を始めようとしているのが最近の動き。
(今回の執筆は匿名によるものです。ご了承ください)


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