世代を超えて、平和な未来のために語り継ぐ

掲載日:2025 年 8月 29日  


2025年8月9日・10日、太秦天神川駅近くの本願寺角坊でアニメ映画『はだしのゲン』1・2の上映会が開かれました。子どもから年配の方まで2日間で約100名以上の市民が、作品を鑑賞する姿がありました。

ゲンの行動やセリフに笑いが起こる場面もありましたが、原爆が落とされた描写では、参加者それぞれが息を呑むように、真剣なまなざしでスクリーンを見つめていました。上映後には数名の参加者が感想を話され、その中にはご自身の戦争体験を話される方もいらっしゃいました。

会場では「原爆と戦争展」も同時開催され、市民の証言や資料をもとにつくられたパネル、寄贈された遺品や資料、原爆や戦争の関連書籍などが展示されました。

日本は2025年8月、戦後80年を迎えました。今回は、「平和な未来のために第二次世界大戦の真実を語り、伝えよう」と、被爆者や戦争体験者とその家族、市民で活動を続けている「京都原爆展を成功させる会」事務局の竹下さんにお話を伺いました。

このページのコンテンツは、京都原爆展を成功させる会 竹下 恵理子さんにスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

「京都原爆展を成功させる会」の歩み

1986 年 4 月のチェルノブイリ原子力発電事故により、日本各地で原発反対運動が広がりました。その頃、京都でも市民による学習会が開かれ、京都府原爆被災者の会から被爆者を招いてお話を伺う機会があったそうです。
その交流をきっかけに、原爆について市民に知ってもらうため、原爆に関する様々な資料や絵画を所蔵する京都府原爆被災者の会と学習会のメンバーによって「原爆展実行委員会」を設け、年1回の展示会が始まりました。

展示会を重ねるなかで、当時の京都府原爆被災者の会の専務理事であった故 三好杢平氏から「年に 1 度の取り組みでも大切だが、きちんと団体を作って若い世代でこの活動を継続してもらいたい」というご意見があり、2000 年 5 月にそれまでの「原爆展実行委員会」を「京都原爆展を成功させる会」に改めることにしました。初代代表を三好氏が務め、「京都原爆展を成功させる会」として京都府内で年に1回~数回の「原爆展」が開かれるようになりました。

当時、山口県の下関原爆被害者の会が、市民の手で保存された被爆写真と証言、原爆詩人・峠三吉と子ども達の詩をもとに、パネル「原爆と峠三吉の詩」を作成し、これを用いた「原爆展」が、広島・長崎・沖縄をはじめ全国各地で開催され好評を博していました。京都でも内容に感銘を受けて採用することになりました。
全国で次々と市民からの新たな証言や資料が数多く寄せられ、「沖縄戦と都市空襲」や「第二次世界大戦の真実」といったパネルが加わっていき、2006 年から「原爆展」を「原爆と戦争展」と展示内容を広げて取り組まれるようになりました。現在のパネル総数は 140 枚を超え、内容の更新も続けられています。

また展示会では、パネル展示だけではなく、被爆・戦争体験を聞く会や詩の朗読、資料展示、寸劇、映画上演なども企画されています。多面的に学ぶことができる工夫により、戦争を直接経験していない世代から戦争体験者、さらには海外からの観光客まで、参加者に強い印象を残しています。

とっても人びとがおそろしさにおびえていて、わたしはこんなことになりたくないです。だから、へいわをまもっていきたいです。 (小学生)

自分がまだ生きていない間でこんな恐ろしい時代になっていると分かってぞっとしました。今の時代も戦争が来るのはおかしくない状況なので、怖いなと思いました。戦争がなくなるといいと毎回思います。 (10代、高校生)

今まで学校の平和学習で戦争について学んだことはあったけど、自分から足を運んでこのような戦争の展示を見たことはなく、貴重な体験をさせてもらいました。定期的にこのような機会を若者にも広めていく必要があると思いました。「戦争は絶対にダメ!」という単純な気持ちだけでいいのか、複雑な気持ちになりました。(20代、大学生)

生々しい光景と珍しい情報、このイベントで過去に起きたことを思い、とても悲しい。私がこれまで見たことがない沢山の絵や写真を見られて良かった。我々はあらゆる兵器のない世界で生活すべきだ。絶対に兵器をなくそう。より良い世界のために。 (30代、海外から)

酷い歴史的事実を忘れてしまいそうになる日常に、このような企画で忘却を止めてくれることに、とても貴重なことと思います。ご準備は大変だと思いますが、これからも続けていただきたいと思います。 (50代)

「はだしのゲン」という映画を初めて見ました。戦争のむごさ、アニメなので最後まで観れましたが、本当に辛くて戦争は二度としてはいけないと思うと共に、戦争の体験を世界中の戦争を知らない人に伝えるべきであるとしみじみ感じました。私自身は長崎の原爆の日、6歳でした。その日長崎から遠く離れた雲仙で空が真っ赤な、その色が今でも目に焼き付いています。戦争は本当にむごい、二度とすべきではない。今後ともこの企画を続けて下さることを願っています。 (80代)

アンケートからの引用

まちの中の「原爆と戦争展」

京都原爆展を成功させる会がこれまで開催された展示会は、学習プラザ、活動センター、区役所、ミュージアムといった公的施設だけでなく、寺院や教会、学校、商店街、さらにはカフェやレストラン、地域の集会所や公園、道端など、さまざまな場所で行われてきました。

かつては会場探しに苦労されたこともあったそうですが、大きな会場だけではなく、市民が身近に立ち寄ることができる場所にも目を向け、現在の展示会のスタイルになっているそうです。

展示会が開催される際には、会場近辺に毎回数千枚のチラシを配布し、掲示の依頼も行なっています。大事にしていることは「まちをあるく」「人と直接話す」ことです。
例えば、ポスター掲示をお願いする際に「祖父も戦争に行ったんです」「○○空襲を経験しました」と話してくださる方もいて、それが大きな学びになります。

また、まちを歩いていると「ここのフェンスはポスター掲示にいいかもしれない」「ここで展示会が開催できるかもしれない」と気づくことがあり、持ち主を探しお伺いすることも。そうした積み重ねでご協力を得られるようになっていきました。

展示会の実施だけではなく、事前の広報活動で会場周辺を歩き、地域の人々とのつながりづくりも大切にされているからこそ、活動が広がっていることが分かります。これらによって、市民が身近な場所で戦争について学ぶ機会にもつながっているのです。

「京都原爆展を成功させる会」への賛同者とその協力

京都原爆展を成功させる会では展示会ごとにアンケートを実施しています。この中には活動への「賛同者」を募る欄があり、これまでの応募者は4桁にのぼるといいます。
応募者には展示会の案内やニュースレターを届けるほかに、ボランティア参加を呼び掛けています。時には「賛同者会」を実施し、各展示会の振り返りや交流の機会がつくられています。

私たちの会は、厳密な会員制は取っておらず会費もありません。寄付や企画展での募金によって支えられています。アンケートに「何かしたいと思っていました」「こんなことを手伝いたいです」と具体的に書かれていたり、感想をたくさん書いていただいたりと皆様の積極的な思いが伝わってきます。
展示会で被爆・戦争体験の語り部としてお話いただいている方の殆どが、会場で出会い、賛同者になっていただいた方々です。語り部だけではなく、参加者からは親族等の遺品、貴重な書籍や資料なども寄せていただいています。

賛同者会では、会場でお話が出来ずにご挨拶だけだった方でも、アンケートでその人の思いや考えをお聞かせ頂いているので、血は繋がっていないはずなのに、他人じゃない、親戚が集まっている雰囲気になるんです。

戦争を直接経験していない世代が大多数となっている今だからこそ、被爆者・戦争体験者とその家族、市民の気持ちが「原爆と戦争展」を通じて繋がり、活動の継続に繋がっています。

活動を継続してくために

展示会や広報活動の中で出会った被爆者や戦争体験者とのお話の内容は、戦争体験や戦後の暮らし、個人的なご相談など多岐にわたり、時にはあまりに過酷な体験を聞き、抱えきれないこともあるそうです。そのときに必要となってくるのが、その体験・苦悩の客体化や他者との共有であり、そのツールとして「原爆と戦争展ニュース」があります。

語り部のみなさんは命をかけて体験を伝えておられます。その内容を一人でも多くの人に伝えなければと思って『原爆と戦争展ニュース』を一生懸命つくっています。
真実を知ったり発見する出会い、感動などを、戦争が再び起こらないためにどう行動するかというところまで昇華していくためにも、整理する時間をちゃんと確保する。そうすることで、活動が続けられています。

実際の「原爆と戦争展ニュース」では、展示会の様子や語り部のみなさんのお話の記録、そして参加者アンケートの回答が掲載されています。展示会に直接参加できなくても、このニュースレターを読むことで自分も参加したような気持ちになります。

戦後80周年を迎えて

最後に、これからの活動への思いについてお話を伺いました。

戦災の爪痕が表面には見えにくい京都でも、いくつかの地域では空襲がありました。さらに活動を通じて、原爆や戦争によって家族が散り散りになるなど人生が大きく変わってしまったり、今なお、色んな形で痛みを持っている方が、京都にも全国にもたくさんいらっしゃることを教えてもらいました。
しかし、私もそうでしたが、そうした事実に気付かないまま生活をしている人も少なくありません。特に若い世代に伝える義務があると感じています。
アンケートには毎回「この活動を続けてください」という声が寄せられます。どうしたらそうできるのか。ぜひみなさんと一緒に考え、答えを見つけていきたいです。


今回スポットライトをあてた団体・個人

京都原爆展を成功させる会 竹下 恵理子 (たけした えりこ) さん

事務局

団体名 京都原爆展を成功させる会
代表者 高山 英明
所在地 〒616-8027 京都府京都市右京区花園円成寺町 11-66
団体について

戦争を知らない世代が圧倒的に多くなっている今。戦争について学ぶ機会も減っています。庶民の手で、共に考え語り合う場を設け、平和な未来の基礎を作っていく事が目的です。

当会は、市民有志で構成し、市民からの寄付を財源として、年間を通して、京滋のあらゆる施設・学校・商店街などで大小の展示会を企画・開催しています。また展示希望者へのパネル貸し出し・協力、戦争体験証言の記録、学習・交流会を行ってきました。
活動当初は「原爆と峠三吉の詩」パネルによる『原爆展』でしたが、次第に全国の様々な戦争体験が寄せられて「沖縄戦と都市空襲」「第二次世界大戦の真実」パネルなどが追補され、『原爆と戦争展』となって全国で活用されています。

当会は展示と合わせて被爆・戦争体験証言会、遺品・資料展示、朗読会、記録映像紹介、映画会、学習交流などを随時行い、年間複数回のニュースで市民の声・反響を還流しています。
主な企画展では府・市・教育委員会のご後援を頂いて、学校や区役所・地域に広報を行わせて頂いています。多世代のボランティアが、市民のご賛同・ご協力の方々と力を合わせて担っています。

電話 090-3974-0020
FAX 075-465-3106
メール take_family_kyoto_2@hotmail.co.jp
Instagram https://www.instagram.com/abombandwarexhibition_in_kyoto/

この記事の執筆者

団体名 京都市市民活動総合センター
名前 奥野 智帆

サブ事業コーディネーター

Web サイト https://shimin.hitomachi-kyoto.jp/
Facebook https://www.facebook.com/shimisen


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