竹林整備は里山づくり「深草真竹を創生する会」

掲載日:2025 年 6月 27日  


荒廃しつつある稲荷山の孟宗竹林を真竹林に転換し、地元の原風景を作る

 古来、日本人は生活の中で竹をさまざまに利用してきました。成竹は生活道具や建材として、若芽(タケノコ)は食用として、また幼竹の樹皮(竹の皮)は食品包装材としてなど、竹を材料にしたものは人々の身の回りに豊富にありました。また「竹取物語」が“日本最古の物語”といわれることからも、人々は古より竹と親しんできたことがわかります。
 タケノコは現在も春の味覚を代表する食品ですが、資材としての竹の需要は、プラスティックの登場や建築様式の変化などにより、急激に縮小しています。
 嵯峨野の竹林の小径など、竹林は京都の代表的な景観と見られていますが、このように整備された竹林は少なく、実際は放置竹林が増え、荒廃が進んでいます。
 今回のスポットライトは、伏見区深草稲荷山で荒廃した孟宗竹(もうそうちく)の竹林を整備し、あらたに工芸用の資材に適した真竹の竹林への転換に取り組んでいる「深草真竹を創生する会」事務局の大島大輔さんにお話をうかがいました。

このページのコンテンツは、深草真竹を創生する会 大島 大輔さんにスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

京都の竹林

 京都市域には660ヘクタールという広大な竹林がありますが、そのほとんどが孟宗竹という種類の竹です。竹はもともと日本にあった植物ですが、江戸時代、中国から食用に適したタケノコを収穫するための孟宗竹が持ち込まれ、栽培が拡がっていきました。現在では京都の竹林のほとんどはこの孟宗竹の竹林になっています。孟宗竹が移入される以前には真竹や破竹などといった種類の竹林がありましたが、発荀(若芽であるタケノコが出てくること)するのが最も早い孟宗竹が地表への日光を遮るため他の竹が生育できなくなり、他の竹を駆逐することになりました。
 私自身、大学卒業後に京和傘の老舗製造企業で働いた経験がありますが、その材料となる真竹は岐阜県から仕入れていました。そこで当時、京都で材料調達できないかと、かなり広い地域で探したこともありますが、ついに条件に合致する真竹林は見つかりませんでした。

荒廃が進む稲荷山の竹林

 私たちが活動する稲荷山地域は伏見稲荷大社の後方に広がる山林で、ほぼ全山が竹林です。ここではかつてタケノコの栽培が盛んに行われ、兼業タケノコ農家による小規模な竹林が集まっています。タケノコ栽培は作業の多くを人力に頼るところが大きく、特に土入れは高齢者にはキツイ仕事であり、またタケノコは特用林産物といい、農業(農産物)と林業(木材)の制度の隙間にあるため、竹林の管理状況の把握には行政としても対応が難しいといった状況に置かれています。そのため高齢化に伴い離農者が増え、人の手で整備されない放置竹林の拡大・荒廃が進んでいます。


竹林整備は里山づくり これまでの歩みとこれから

 人里の周りには里山があり、その先は奥山という獣たちの棲み家です。人里と奥山の間の、適度に人の手が入る里山は人と獣がどちらも住み着かない緩衝領域でした。かつて里山であった竹林の荒廃で、人里と奥山が直接接することになり、人家の周囲にイノシシやシカなどが出没するようになりました。このように野生動物を身近に目にすることは、決して自然が回復してきたのではなく、逆にこうした里山の荒廃が原因なのです。荒れた竹林を整備することは、単に景観保全目的だけではなく、里山を再生することでこうした人と獣の緩衝地帯をつくることにもつながります。
 ただ、景観保全や里山づくりといっても、それだけでは活動の広がりや先々に向けた継続は難しい。そこには経済的な側面での動機付けがなければ活動を広げていくことはできないと考えています。

 深草真竹を創生する会の会長、杉井正治氏はもともと稲荷山のタケノコ農家で、竹の育成についての豊富な知見を持っており、「真竹」に注目していました。
 そもそも孟宗竹と真竹はどう違うのか。孟宗竹は節の線が1本で節間が短い、真竹は2本で節間が長いという見た目の違いはありますが、パッと見たところではどちらの竹か、一般の人には判別は難しいでしょう。しかし、その性質は大きく異なっています。孟宗竹はタケノコを主に食用としますが、竹自体は、弾性は真竹に劣り曲げに弱いため、繊細な加工には適していません。工芸分野としては竹垣などの建築資材として使われることもありますが、主にはタケノコ生産のために栽培されています。
 一方の真竹は工芸用に求められる割裂性や柔軟性を兼ね備え、節間も長いことから、和傘や様々な竹細工などの伝統的な竹工芸品に重用されています。こういった真竹の特性に加え、竹材自体が長尺のままでの輸送が難しいことから、本来なら地産地消が望ましいとされます。
 工芸用として育てる真竹は、食品として手間暇かけて育てるタケノコ畑としての孟宗竹林と比べて、その育成・管理には比較的手が掛からないことから高齢者にも取り組みやすく、竹林の荒廃を防ぐだけでなく、新たな産業を興すことにもつながると考えました。

竹工芸品の和傘と照明器具(株式会社日吉屋ウェブサイトHIYOSHIYAより)

 そうして、稲荷山のタケノコ農家の人たちが集まって2023年に「真竹をつくる会」を立ち上げたところから活動はスタートしました。ただ、高齢者だけでは発信力も弱く、また孟宗竹林から真竹林への転換のための作業を行うためには現役世代の人の力も必要なことから、新たに「深草真竹を創生する会」を結成し、現在では地元農家の人だけではなく、就農希望者や学生も参加する活動へと発展してきました。私自身は、もともと和傘の製造や事業用真竹林運営に携わってきたことから、行政の仲介により杉井会長と出会い、創生会の結成時からこの活動に関わることになりました。
 もともと竹の栽培を営んできた小規模兼業農家の集まりで、農地から地目の転換も難しい、そういった深草の地にあった持続可能な営農スタイルを模索する中で、真竹の可能性に着目し、これを1品種に加えようと取り組んでいる。これによって深草の農業の後継者問題が解決し、結果として農地を維持していくことが里山保全につながるだろうと考えています。さらに今後は副業ブームにも乗って、地域の新たな担い手となる人たちを育てることにもつながっていくことを期待しています。

活動は始まったばかり

 孟宗竹林から真竹林への転換、とひとことに言っても、実際にはそう簡単な話ではありません。昔から、「竹林は強い根が網目のように拡がっているから地震に強い」とよく言われるほど、地表の竹を伐採しても、地下にはこの強い根が残り、新たに芽吹いてきます。根こそぎ除去するには、地道な伐採の継続が必要です。間伐材の処理も手間であり、私たちはこれを粉砕して竹チップに加工し、現地の土に還らせたり、他の農作物の土づくりに利用して処理しています。また真竹そのものは畑などの農地で苗を育成した後、現地に移植することが必要です。

現地での作業風景

 活動を始めた2023年、皆伐した孟宗竹林跡に試験的に植えた真竹の苗が活着することを確認しました。翌年の2024年にはさらに規模を大きくして真竹の苗の育成、植樹に取り組んでいます。その間にも伐採地からは元の孟宗竹の芽が出てくるので、これを育つ前に除く作業も並行して行わなければいけません。こうして徐々に枯死する孟宗竹の根も土に還して、孟宗竹林から真竹林への更新が行われていくことになります。
 竹は芽を出してから2年目で次の芽を出します。これが工芸用資材として使えるまで成長するには3~4年かかるため、3年後の2028年冬に、私たちが育てている真竹林からの初出荷を予定しています。
 竹林の持続可能な維持・更新、新たな生産物としての竹の収穫、新たな産業としての次世代の担い手の育成、これらが真竹の創生という私たちの活動の目指すところですが、今はまだその緒に就いたばかり。これからさらに多くの人たちも巻き込みながら、稲荷山の真竹林を地域の原風景にしていきたいと思います。


 

今回スポットライトをあてた団体・個人

深草真竹を創生する会 大島 大輔 (おおしま だいすけ) さん

深草真竹を創生する会 事務局

団体名 深草真竹を創生する会
代表者 杉井 正治さん
団体について

本会は、後継者不足により荒廃する稲荷山のタケノコ畑(孟宗竹林)を持続可能な形で解決するため、竹工芸業界における「真竹」の全国的な供給不足に目をつけ、真竹林に一部転換することで竹林景観と里山機能の保全を兼ねる持続可能な営農スタイルの確立を目指しています。


この記事の執筆者

団体名 市民活動総合センター
名前 近藤 忠裕

事業コーディネーター



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