NPO 法人パーキンソン病支援センターは、2025 年 3 月をもって活動終了を決定※しました。この20 年間、患者や家族に寄り添いながら、交流会や医療講演会など、さまざまな取り組みを続けてきました。
今回の NPO スポットライトでは、理事長の寺松由美子さんに解散を選択した理由を伺い、20 年の活動の意義について振り返っていただきました。
※ NPO 法人としての正式な解散総会は 4 月に開催される予定です。
◆パーキンソン病とはパーキンソン病は、体の動きに関わる症状が特徴の難病です。主な症状には、手足のふるえ(振戦)、動きが遅くなる(動作緩慢)、筋肉がこわばる(筋強剛)、バランスが悪くなり転びやすくなる(姿勢保持障害)などがあります。また、運動症状のほかに自律神経障害、睡眠障害、精神症状、認知機能障害など全身に症状が現れます。
50歳以上で発症することが多く、日本では、65 歳以上の高齢者 100 人に 1 人ほどがこの病気になるとされており、患者数は増加しています。パーキンソン病の原因は、神経伝達物質を作る細胞が減少することです。体をスムーズに動かすために必要な物質の不足によってさまざまな運動症状が引き起こされます。現在の治療法は、薬で原因物質の不足を補い、症状を和らげることが中心です。また、転倒による骨折や他の病気を防ぐために、ストレッチやリハビリ運動も大切とされています。
参考:難病情報センター(運営:公益財団法人難病医学研究財団)
パーキンソン病支援センターは、患者会「全国パーキンソン病友の会京都府支部」に関係する家族や患者たちが中心となり、患者会とは異なる立場でパーキンソン病の患者や家族を支援するために設立されました。2005 年に設立し、翌 2006 年にNPO法人の認証を受けました。
寺松さんは、母親がパーキンソン病と診断されたことから患者会「友の会京都府支部」に入会し、やがてNPO法人パーキンソン病支援センターの立ち上げに参加、理事長となりました。
以来 20 年間、目まぐるしく進化していく医療の状況をいち早く掴みながら、患者さんや家族が安心して集まれる交流会を続けてきました。
医療講演会では、iPS細胞を使った最先端の再生医療技術を研究する医師やパーキンソン病の診療経験が豊富な専門医を招くなど、質の高い内容をテーマに取り上げてきました。これらの講演会は、元々医師とのつながりがあったわけではなく、理事長の寺松さんが「患者やその家族のために力を貸してほしい」と熱心にアプローチし、実現させたものです。
患者や家族からの相談にも、医療や福祉など総合的な情報を元に対応して来られました。
そして何より、パーキンソン病支援センターの最大の特徴は、「毎月必ず交流会を開いてきた」ことです。月 1 回開催される「サロン交流会」には、ストレッチ・ヨガ・太極拳など運動に関するテーマ、脳トレやゲームなど頭の体操につながるテーマ、患者や家族ならではの悩みを分かちあえる「話してきいて会」など、3つのテーマがあります。同じ内容を繰り返すのではなく、内容をバージョンアップしたり工夫しながら、常に新しい取り組みになるよう心掛け、実施してきました。
毎月の交流会を続けることは、簡単に思えて、実はとても大変なことです。
パーキンソン病支援センターでは、寺松さんをはじめ、センターのスタッフやボランティアが無償で活動しています。
このようなNPOや市民活動の中には、関係者の家族の病状や生活環境の変化などによって、開催頻度を減らしたり、一定期間活動を休止する団体も少なくありません。しかし、パーキンソン病支援センターは、コロナ禍の中でもサロン交流会を止めることなく実施してきました。寺松さんご自身も、母親の症状が進行し、介護をしながら運営に携わっていた期間が長くあります。
寺松さんに「どうして毎月続けられたのですか?」と尋ねると、「ただ、毎月続けるのがあたりまえだと思ってやってきただけ」とさっぱりとした顔で語ってくれました。
このNPO法人を運営するには、定期的に開いている交流会の場があること、絶対に月1回開催することが大切なのだということを守ってきました。週1回では運営者にも負担が大きすぎる一方、月1回であれば運営が持続可能で、患者さんも無理なく参加できますしね。参加できないとお返事をくださる方には、「来れなかったら、また次回参加してね」という感じで接してきました。
スタッフもみんな、毎月やることが当たり前だと思っていましたね。もちろん仕事や家族のケアをしながらなので、「○月の開催日はいつですか?仕事を休みますから」という感じで予定を確保してくれていました。
それから、交流会の会場は、バリアフリーであること、患者さんにとって分かりやすくアクセスしやすい場所であることがとっても重要です。長年利用していた「ひと・まち交流館 京都」は2022年まで無料で会場を借りることができましたし、条件を満たす会場が確保できたことで、交流会を無料で開催し続けることができました。
市民活動総合センターのような支援センターや医療・介護機関にとっても、パーキンソン病支援センターのように定期的に開催される交流会は、安心して患者をつなげられる心強い存在です。毎月必ず開催されることで、「いつ行っても大丈夫」という信頼感が生まれ、患者や家族が不安なく参加しやすくなります。定期的な開催は、患者支援の場としてだけでなく、地域の医療・福祉ネットワークの強化にもつながっています。
パーキンソン病支援センターが NPO 法人としての活動を終了し解散することを会員に伝えたところ、これまでの活動への感謝や解散を惜しむ声と共に、次のような感想も寄せられたそうです。
「毎月あってあたりまえだと思っていました。」
「空気のように、見えないけれど当たり前のようにそこにある団体だと思っていました。」
サロン交流会では、毎回実施後に参加者からアンケートを収集してきました。その中で「サロン交流会の魅力は何か?」という設問に対し、多くの人が「パーキンソン病に特化したプログラム」を挙げました。一方で、「毎月開催されていること」を魅力と感じていた人は約 2 割程度だったそうです。
寺松さんたちは、プログラムの充実に力を注いできました。さらに医師を始めとした医療従事者や専門家と直接話せる交流の場を増やすことで、参加者に価値を提供し続けてきました。こうした努力は参加者にしっかり受け止められてきたわけですが、しかし、解散の報告をした際、多くの人から寄せられたのは、「毎月当たり前にそこにあったことのありがたさに気づいた」という声だったのです。
寺松さんたち理事が、活動の終了、つまり NPO 法人の解散を決めた背景には、いくつかの理由がありましたが、主には以下のようなことでした。
ひとつは、世代交代の難しさです。20年に及ぶパーキンソン病支援センターの活動は、終始、寺松さんのリーダーシップによって進められてきました。「何かを始めるときは、周りに打診し、大きな反対がなければ実行する」というスタイルを貫きながら、無理のない範囲で活動を続けてきたのです。しかし、事業の継承について寺松さんは、「次に引き継ぐ人を私が指名するのではなく、誰かが自ら手を挙げてくれない限り、継続は難しい」と感じていました。
そんな中、寺松さんが長年監事を務めていた別の NPO 法人が解散することになり、その経験を通じて NPO 法人の解散手続きについて具体的な知識を得ました。その法人は事務所を借り、従業員も雇っている中規模の組織であったため、解散手続きも複雑で多くの労力を要しました。寺松さんは「NPO 法人の解散がこんなに大変だとは思わなかった」と率直な感想を抱いたといいます。
理事長の寺松さん自身の体調不安から、今後の運営の継続がいつか難しくなった場合、法人の運営や解散に関わる複雑な手続きを他の人に引き継ぐのは難しいと判断しました。この経験が、パーキンソン病支援センターの活動終了を考えるきっかけの一つとなったのです。
もうひとつの理由は患者自身の自主的な活動の広がりです。サロン交流会に参加していた患者さんたちの中には、地域の社会福祉協議会を巻き込んで小規模な交流会を始めたり、グループラインを活用してリハビリプログラムを継続したりする動きが見られるようになりました。
また、従来からある「全国パーキンソン病友の会京都府支部」も新たに活動を拡張しようという動きが生まれてきています。
寺松さんはこうした状況を前向きに捉えて、次のように語っています。
パーキンソン病支援センターを何が何でも継承しなければならないとは思っていません。もし本当に必要であれば、自然と新たな動きが生まれるはずです。それよりも、参加者や支援者が自分たちに合った方法で活動を始め、それが広がりを見せることのほうが重要だと感じています)
20 年前を振り返った寺松さんがまず語ったのは、NPO 法人への誤解についてです。立ち上げ当初、関わった人々自身もNPO 法人について正確な理解を持っていなかったそうで、「 NPO 法人になれば補助金がつき、行政からお墨付きがもらえる」といった誤解があったといいます。「実際には、NPO 法人格を持つだけで補助金がもらえるわけではないですからね。」と、苦笑いしながら当時のエピソードを語りました。実際、パーキンソン病支援センターも資金集めに苦労した時期があったそうです。
一方で、20 年の間に社会のパーキンソン病への理解は少しずつ進んできました。医療や治療に関する情報の流通も当時とは大きく異なり、特にコロナ禍を経てその変化が顕著だったと寺松さんはいいます。コロナ禍以降、病院や医師たちがオンラインで医療講演会を頻繁に行うようになり、NPO 法人が医療講演会を開催する必要性も薄れてきたと感じているそうです。このような時代の変化も、自分たちの活動の幕を閉じるきっかけになりました。
「 20 年間の成果は何だと思いますか」との質問に、寺松さんはしばらく遠くを見つめ、「なんでしょうね・・・。大したことをやったという自負はないんですよね・・・」と静かに答えました。「あたりまえのことを、あたりまえにやってきた。できる範囲で。」そうつぶやきながら、ふと思い出したように語り始めました。
活動終了を SNS や通信で報告したときに、ある理学療法士さんからメッセージをいただいたんです。『ずっと、パーキンソン病支援センターの情報を参考にしてきた』って。実は、うちの Facebook のフォロワーは 1000 人近くいて、医療従事者や専門家のフォロワーも多かったんです。病気や治療、リハビリ、患者さんの生活に関する情報を継続して発信してきました。それをみんなが見てくれていたことを、活動を終了する今になって初めて知りました。
患者さんから『よかった、ありがとう』と言ってもらえると、『次は何をしよう』と頑張る意欲が湧いてきました。ある患者さんから『寺松さんは患者じゃないのに、なんで私たちのことそんなにわかるんですか?』と言われたことがあります。
私たちは、パーキンソン病のプロでもなければ当事者でもありません。だからこそ、患者さん目線で物事を考える姿勢を大切にしてきました。実際の痛みや苦しみはわからない。けれど、患者さんが感じることを想像することはできる。それを医師に伝えると、先生方も一緒に考えてくれて、一生懸命教えてくださったんです。
これからは、これまでとは異なるやり方が必要になるでしょう。私たちがいつまでも続けるのではなく、新しい世代や視点を持つ人たちが活動を進めていく方がよいと思っています。関西圏でも、今までにない新しい活動が出てきているんですよ。
活動を終えることへの後悔は全くないそうです。
「ミスはたくさんしましたけど、やり切った感があります。花丸とまではいきませんが、いちじゅうまるくらいはいただけるのではないでしょうか。」
取材の最後、寺松さんは、さっぱりとした達成感とともに、これからを見守る穏やかな表情をされていました。
団体名 | NPO法人パーキンソン病支援センター |
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団体名 | 京都市市民活動総合センター |
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名前 |
土坂のり子 副センター長 |