子へ孫へ 水車回るや 五月晴

掲載日:2022 年 4月 29日  


樋を外すと、堰き止められていた水は水路へと勢いよく流れだした。待っていたかのように水路の水をかいて回る水車の心棒から張り出した“なで棒”と呼ばれる木が、杵を持ち上げては臼に落とすという動作を規則正しく繰り返す。「ガタンッ・・・ガタンッ」。数十年間、ひっそりと佇んでいた水車小屋が再び眠りから目覚めた瞬間だ。

今回の NPO スポットライトは比叡山の山すそ、左京区上高野の住宅地の中に残る水車小屋の水車復元完成披露会を訪ね、水車復元プロジェクトのリーダー 齊藤武(さいとうたけし)さんとメンバーの皆さんにお話をうかがいました。周辺は現在も耕作地が点在し、かつて田園地帯であった名残をとどめています。その住宅地の一角に、今回訪れた水車小屋はあります。

このページのコンテンツは、水車復元プロジェクト 齊藤 武さんにスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

かつては、水力を動力源として粉ひきや米つきなどを行う装置として全国各地にみられた水車ですが、現在は観光目的などで保存されているものを見るくらいです。こちらの水車小屋はよく残されていましたね。どういったものなのでしょう?

この水車小屋は、古くからの住民である 13 家で構成する水車組合が保有するものです。かつては協同の作業場として、脱穀やその他の農作業が行われていたのでしょうね。1960 年代に水車小屋のことを掲載した新聞記事が残されています。その後は動力として電気が水力に置き換わり、また農地が住宅地に転換されてきたことなどもあって、水車は使用されなくなったものだと思います。現在の小屋は 30 年ほど前に建てられたものですが、すでにその時点で実用はされておらず、復元目的で建てられたものだと聞いています。

車の心棒となで棒。2 基の杵と石臼がなで棒の動きに合わせて上下する。
水車小屋の中にはかつて使われていた引き臼や様々な農具が残されている。

今回の復元プロジェクトについてご紹介ください。
なぜ、この水車小屋の復元を思い立たれたのでしょう?

これがきっかけ、ということがあるわけではありません。自分たちはこの小屋のすぐそばにある古民家「五右衛門」につくられたコミュニティ『くらしごと』を拠点に、さまざまな活動をしています。一緒に活動するメンバーたちとさまざまなことを話す中で自然と出てきた話です。

原発に大きく依存するエネルギーの問題、食料の自給、水問題など、我々の世代では解決できない課題は山積しています。このように次世代にツケを回すばかりでなく、今の子どもたちに何か残してあげるものはないかと思っています。水車の復元もこれで完成ではなく、スタート地点に立ったのです。これから子どもたちがどのように工夫を加えて活かしていくか、自分たちはその材料を提供したんだと考えています。

プロジェクトメンバーはどのような人たちでしょう?

作業は、普段『くらしごと』で活動している仲間と行いましたが、実際の水車の設計は元伏見工業高校の足立善彦先生にご指導いただきました。足立先生は近畿地方の各地で水車の復元や設置に取り組まれている水車の専門家です。

復元プロジェクトの作業風景

このプロジェクトにはいつから取り組まれてきたのでしょう。

活動がスタートしてからはすでに 7 年が経過しています。最初は水車小屋の所有者である水車組合の方々に水車復元の構想をご説明して、許可をいただくところから始めました。水車組合の共有財産であることから、どなたかに了解いただけばいいというものではなく、全家を訪ねて説明し了解を取り付けていく、ということを行いました。今はすでに利用していない水車とはいえ、これを実際に動かそうとしたときに考えておかなければならないことについていろいろなご指摘を受け、全家からご了解いただくまでには相当の時間がかかりました。しかし、そのおかげでさまざまなリスクの洗い出しとその対処法を考えることができ、結果としてとても良かったと思っています。

実際の水車復元はどのように?

まず考えたことは、自分たちでメンテナンスができるものを作ろうということです。専門家に製作を委ねたものは、故障したときには再び専門家の手を借りなければならない。そうではなくて、自分たちの手で直し直し使い続けていけるものにしようと考えました。

元の水車は円形をしていました。しかし円形の板はいくつかに分けたとしても幅の広い板から切り出さなければなりません。これは修理の際の用材調達を考えると大変コストがかかる。これを多角形のパーツの組み合わせにすると、傷んだ箇所だけ交換すればよいので、低コストで簡単な作業で行うことができる。こうした知恵や水受けを取り付ける角度の設定などは、足立先生のご指導のおかげです。

水車の設計図は、実物大のものを何枚ものベニヤ板に直接線を引いて作成しました。こうすることで、実際に切り出した部材を設計図に合わせてみて、ちゃんと設計通りに加工できているかの確認をすることができます。この設計、加工は主にプロジェクトメンバーの一人、木工職人の山田正人さんがやってくれました。

左)実物大の設計図を作成した木工職人の山田正人さん。
右)復元前の円形の水車の一部。植物を飾って飾り台に流用。

これからどのように使っていきたいと考えていますか?

今がスタート地点といったように、水車自体にもこれからまだまださまざまに工夫を加えていくことができます。今は杵を作動させて玄米をついたりすることができるだけですが、歯車を使って引き臼を回すようにすれば粉も挽けます。またこれを機に、マイクロ発電による小電力の利用など、エネルギー問題を考えるきっかけにもなればいいと思います。ただ、発電した電気は、勝手に電線を引いて使いたいところに送ればいいということではないそうです。様々な規制や安全面も考慮して、どうすれば実際の生活に利用できるかも考えていかなければなりませんね。

4 月 9 日に水車完成披露会のイベントを開催されました。
完成披露会ではくす玉が割られ、歌が詠まれました。
「子へ孫へ 水車回るや 五月晴」

地域で取り組む他の活動の紹介

高野川河岸の荒れた放置竹林を整備し、真竹の竹林再生に取り組んでいます。

しばらく無住となり傷んでいた伽藍、境内の復興、整備のため、齊藤さん達が中心となり、「木曜会」という作務の会を運営しています。竹林整備で新しく生えてきた竹を使い、お寺の竹垣を作りました。

栖賢寺 竹垣

大きなおくどさんが鎮座する古民家「五右衛門」に、さまざまな活動に取り組む仲間たちが集います。

 活動の拠点 上高野のコミュニティ「くらしごと」

今回スポットライトをあてた団体・個人

水車復元プロジェクト 齊藤 武 (さいとう たけし) さん

仲間たちからは「タケちゃん」の愛称で呼ばれる齊藤さん。いかにもひょうひょうとした風貌で、そのいでたちも自由人そのもの。しかし秘めたる思いは強く、取材子の問いかけに熱く語ってくださいました。齊藤さんは今回取材した水車復元プロジェクトの他にも上高野一帯をフィールドに、さまざまな活動に取り組まれています。その一つが「竹取物語 TAKE5」というグループの代表として取り組む高野川河岸の放置竹林の整備、真竹林の再生の活動です。その他にも、毎週木曜日は同じく上高野の禅寺「栖賢寺」で仲間たちと一緒に作務を行っていますが、竹林整備活動で伐採した竹を竹垣づくりに利用し、このたびその竹垣も完成したとのこと。早速行って写真を撮ってきました。その他にもお寺の整備、修復資金を募るため、ご本人の絵画作品の展覧会をお寺で開くなど、さまざまな活動に取り組んでいます。取材当日の夜も、神社の神輿巡幸の先頭に立って行う剣鉾差しの練習に行くとのことでした。こうした取組みは自身が発行人となっている「京都上高野 くらしごと」のミニコミ紙「ゆいまーる瓦版」に紹介されています。
「ゆいまーる瓦版」は上高野「くらしごと」の他、市民活動総合センターにも配架されています。

※ 個人の肩書や所属する団体は、執筆時点 (2022年4月) の情報です。

団体名 水車復元プロジェクト
所在地 〒606-0088 〈活動拠点〉京都市左京区上高野植ノ町 5 古民家五右衛門「京都上高野くらしごと」

この記事の執筆者

団体名 京都市市民活動総合センター
名前 近藤 忠裕

事業コーディネーター

Web サイト http://shimin.hitomachi-kyoto.jp/
Facebook https://www.facebook.com/shimisen


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