寄付ラボ 第 86 回寄稿

掲載日:2019 年 3月 8日  

寄付ラボファイナル。ラストとなる第 16 回目は、弁護士の南 和行さんです。同性パートナーの吉田さんと共に、法律事務所を営んでおられます。

LGBTをめぐる政治家の発言や、法律改正を求める動きが活発化する中、お二人の日常と仕事を映し出したドキュメンタリー映画が公開されました。

「弁護士として」や「ゲイカップルとして」などの立場で発言を求められることも多いと思われますが、今回の寄付ラボでは、様々な「肩書」をとっぱらった「ひとりの人」として寄稿いただきました。

リアルな感情から浮かび上がる、南さんにとっての「募金と寄付の違い、寄付と選挙の違い」を、じっくりとお読みください。

募金ではない寄付の意義 -私は自分自身を託して寄付をする-

このページのコンテンツは寄稿記事です。

不満はあっても特別な不自由はない暮らし。華美な贅沢はできないけれど、好きな物をたまに買うことはできる程度の経済的な余裕。でもテレビのニュースや新聞から伝わる情報から知る広い世界は、いやいや、自分自身のすぐ身近なところにも、ささやかな幸せすらままならない人がいる。
 町内会で回ってくる赤い羽根募金、コンビニのレジ横のプラスチックケース、そこに少しのお金を投げ入れることは、「自分が少しだけ恵まれた日常にあること」を知ってしまった罪悪感を拭う行為だ。募金は「いいことをした」というその瞬間の感情の満足と、自分は「けっして悪人ではない」という安心のための行為だと思う。だからこそ、入れたお金の行く先よりも、自分の善意の「正しさ」が気にかかる。募金詐欺や不正募金には「自分の良心が踏みにじられた」憤りを覚える。  金持ち同士のケンカを仲裁して弁護士報酬をもらったとき、少しの贅沢をと、いつもは買わない 324 円のフルーツスムージーをコンビニで買う。1 万円札で支払った釣り銭 9676 円から、1 円玉 1 枚と 5 円玉 1 枚をレジ横のプラスチックケースに投げ入れる。私は募金によって、財布の中の1万円札にまとわりついた卑しさを拭う。



しかし寄付は違う。私にとって寄付は、選挙権の行使、デモへの参加、テレビや新聞でのインタビューでのコメントと同じくらい、私自身のための社会的な行動だ。「世の中がもっとこうであったらいいな」という思いが実現することを目指し、現実に社会に働きかける行動として私は寄付をする。
 選挙権を行使するとき、私は候補者の所属政党や候補者本人のウェブサイトで、公にされている候補者自身の情報や政策の内容を読む。街頭演説やテレビの討論を見ることができれば良いが、それがなければネット動画を見て、なんとか候補者の人となりを感じようとする。それは選挙で選ばれた人が、実際に法律や条例を作り、ときには行政権を行使するといった、社会の仕組み作りの現実の意思決定や具体的作業をする存在になるからだ。
 できることなら私自身が議会や役所に身を置いて、社会の仕組み作りの現場に立ち会いたい。でも、それは現実的に不可能だから、私は私の代わりにそれをやってくれる人を選挙で選ぶ。だからこそ社会の将来像のイメージを共有できる人にそれを託したい。できる限りの情報を知って、その人が当選した先の社会の変化をなんとか予測しようとする(しかしその予測はたいてい大きく外れる)。



寄付もそれと同じだ。寄付を募る団体が掲げる社会目標、目標達成のための取り組みの具体的な中身、より効果的な取り組みとするための調査研究の積み重ね、団体が広報する情報をできうる限り知ろうとする。「世の中がこうであったらいいな」という気持ちはあっても、自分で団体を立ち上げたり、活動の中心になったりすることができない。だからこそ私は、本来ならば自分がすべき行動を託す気持ちで団体に寄付をする。
 選挙と違って寄付は透明だ。自分が寄付したお金を誰が管理するのか、何に使われるのか、それがどのような結果に結び付くと期待できるのか、多くの場合その情報はクリアーにされている。寄付をした活動や団体の活動の成果が、世の中に映し出されることを予測するのは、選挙の先を予測するよりもむしろ明解だ。なぜなら寄付を通じて体験する自分自身が行動した実感こそが、活動への参加であり社会を形作ることそのものだからだ。

 

南 和行

南 和行(みなみかずゆき)さん

1976 年大阪市生まれ。2008 年司法試験合格。2009 年大阪弁護士会登録。
2013 年パートナーである吉田昌史と二人でなんもり法律事務所を開設。
「同性婚 私たち弁護士夫夫です」、「僕たちのカラフルな毎日」を上梓。また二人の日常と仕事をとらえたドキュメンタリー映画「愛と法」が上映中。


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