京都市左京区にある「吉田山」。吉田山は、古くから別名として「神楽岡 (かぐらおか)」、神が集う岡として親しまれている聖地でもあったことから、859 年に京の都の鎮守神として吉田神社が勧請し創建されています。また、古文献には、美しい自然豊かな風景と、人々が集まり楽しむ様子が描かれているそうです。
現在は京都市の特別緑地保全地区のひとつとなっており、吉田山の山頂付近の吉田山公園には、休日問わず親子連れや子どもたちが遊ぶ様子が見られます。
今回は、その吉田山の自然環境を保全・整備している「吉田山の里山を再生する会」にスポットライトを当て、実際のご活動への取材とともに、お話を伺いました。
「里山」とは、自然と都市との中間に位置し、「集落」と、その周辺に「森林」「農地」「ため池」などが広がる地域のことをいいます。日本の里山は国土の約 4 割に及び、長い年月をかけて人と自然が共存し、環境が維持されてきました。
また、里山特有の動物・植物の生息地、自然資源の供給、文化の伝承など、様々な観点からも重要な地域とされています。
しかし、社会の産業構造の変化、人口減少や高齢化などによって、里山は人による管理が行き届かず、荒廃し、減少傾向にあります。
吉田山の里山も、同じような課題を抱えていました。戦後放置され管理されなくなった森林全体は鬱蒼とし、その結果、野宿者や野犬、ごみの不法投棄が増えていたそうです。
なんとか課題を改善しようと、現在も連携している「吉田山を美しくする会」さんが主体となり、吉田山周辺の清掃活動を開始されました。その結果、ごみや野宿者の滞在が減っていったそうです。
ただ、清掃活動だけでは、里山機能の改善はなされず、荒廃は進んでいきます。
そのため、「古文献にあるように人々が集い、楽しむことができる里山を復活させること」「安全・安心な景観に優れた里山に再生すること」を目的として、2008 年 7 月に吉田山の里山を再生する会が設立されました。
2009 年以降から年に 1 回の植樹会、2013 年以降は約 150 名が集まる地域一斉清掃活動を年に 2 回 (6 月・11 月)、2018 年以降は第 3 日曜日の午前中に定例で里山整備を行うほか、各メンバーでの自主作業などが行われています。
植樹会においては、設立から現在まで約 150 本以上の植樹がなされ、特に桜は 100 本以上に上ります。幽斎桜 (品種:一重彼岸しだれ桜) と開運桜 (品種:山桜) <※1>という桜があり、それぞれ吉田神社境内にある木から実生木 (みしょうぼく) と接ぎ木を育てて植樹されています。
2019 年には京都市動物園に各 1 本ずつ寄贈されているそうです。
活動メンバーは 70 名以上。吉田山周辺の地域住民や、地域の祭りの関係者が中心となり、参加者自身が知人に活動を紹介することや、前述の植樹会や地域一斉清掃活動に参加した方が、継続して活動に参加されることで、メンバーが増えてきたそうです。
地域全体で吉田山をより良くしたい、そんな思いが伝わってきます。
<※1>
・幽斎桜:1590 年丹後 (現在の舞鶴市) に幽閉された中院通勝を慰めようと、細川幽斎が吉田山から移植した、しだれ桜が舞鶴市吉田の瑠璃寺に「吉田のしだれ桜」として存在する。その 3 世を里帰りさせて吉田神社大元宮に植樹され、幽斎桜と命名された。
・開運桜:おみくじをつける桜として、開運が運ばれてくるようにと名付けられた。
吉田山の里山を再生する会の活動が地域に広がることとなったもうひとつのきっかけとして、2018 年 9 月に発生した台風 21 号が挙げられます。
台風 21 号は、京都府に暴風を伴った大雨をもたらし、各地で浸水被害や強風による被害が生じ、吉田山も甚大な倒木被害を受けました。
不幸中の幸いにも、活動場所周辺の民家に被害はありませんでしたが、もし風向きが反対であれば、民家に木が倒れ、より大きな被害が出ていたといいます。
活動メンバーをはじめ吉田山周辺の地域住民の多くが、この台風 21 号によって「風」による災害の影響と危機感、里山整備の重要さを改めて考えるきっかけとなったそうです。
その後の活動では、民家の近くに育っている危険木の伐採に対してより一層力を入れるため、各助成金・補助金への申請により、剪定した木を細かく砕くためのチッパー、草刈り機やチェーンソーなど機械化の導入を進められました。
効率も向上し、活動場所である吉田山公園の見晴らしも一気に改善されました。
こうした伐採・剪定を行うようになってから、活動時の機械の音を聞いた周辺地域の方から「使っていない機材があるから使ってほしい」という協力の申し出や、「高齢で育てることができなくなった木があるから、代わりに育ててくれないか」といった依頼が出てきているそうです。
また、吉田山公園の展望が良くなったことで、たくさんの親子連れや小学校・中学校の子どもたちの遊び場、ボーイスカウトの活動場所、五山の送り火の鑑賞スポットなど、多くの人が訪れるようになってきました。
日当たりや風通しが良くなったことで里山の動物にも変化が見られます。野鳥が増え、常に鳥のさえずりが聞こえるようにもなったそうで、団体の目的の一つである「古文献にあるような人々が集い、楽しむことができる里山」に近づいている様子が伺えます。
吉田山の里山を再生する会が活動の中で大切にしていることは、活動の継続です。
代表の清瀬さんと事務局長の辻村さんは、「吉田山の里山を100年、200年後にも残すため、まずは活動を維持・継続し、これからの里山の基盤をつくっていきたい」と仰っていました。
そして、活動を継続するためには、メンバーを増やすことも必要であり、「いかに活動に楽しみや成果を感じてもらうことができるのか」という視点も大切にされています。
そのための工夫として、活動の中で出た剪定枝や丸太など、活用できるものは、活動時や他の団体と連携して活用することも心がけていらっしゃるようです。
例えば剪定枝は、細かくチップにして苗木を育てる堆肥として活用することや、2021 年 10 月から毎回の活動で京都市動物園のゾウやキリンの餌として、トラック 1 台分の寄付をされています。
これらによって、堆肥の中にカブトムシの幼虫が発見されたり、剪定枝を動物たちが食べてくれることを初めて知って驚くメンバーがいたりと、参加者の楽しさやモチベーションに繋がっています。
また、定例の活動日の終了時には、「おやつタイム」が設けられており、吉田山で育っている果樹 (クサイチゴ、ブルーベリーに似たナツハゼ・シャシャンボ等) から収穫したものを使い、代表の清瀬さんの手作りジャムや、冬には干し柿を全員で食べ、活動による山の恵みを感じる機会も作られているそうです。
今回の取材を通して、人と自然が共存する里山づくりは、息の長い継続した取り組みが必要であることを強く感じました。なぜなら、常に人の手が入ることによって、多様な機能を持つ里山が保たれるからです。
市民活動では、活動を継続していくうちに、ふと目の前の課題解決に集中するあまり、本来の目標を見失ってしまうことがあります。それでも日々の活動は実施できる場合もありますが、義務感によって活動することが徐々に増えることで、そこに集う人の気持ちがバラバラになり、疲弊感が強くなることもあります。
活動を継続するには、活動を始めるよりもたくさんの工夫と楽しさ、そして、様々な人の関わりを受けいれていく柔軟さが必要なのだと感じました。
吉田山の里山を再生する会では、将来を見据えた目標を明確に持ちながら、自分たちも活動を楽しむ思いも持つための工夫を取り入れて活動に取り組まれていました。
その姿は、吉田山周辺の地域住民や連携団体との信頼関係の向上や、活動場所である吉田山公園を訪れる人たちへの「安心・安全な里山」の存在を伝えています。
代表の清瀬さんと事務局長の辻村さんは、「人が訪れるからこそ安全な里山をつくり、これからも様々な植物を増やしていきながら、活動範囲も広めていきたい」と志を持たれていらっしゃいました。
今後、さらに景観が整えられ、美しくなっていく吉田山の姿に期待が膨らみます。
公益財団法人 平和堂財団様の環境保全活動助成事業「夏原グラント」プロジェクト活動レポートでは、吉田山の里山を再生する会さんのより詳しい活動日の様子が公開されています。そちらもぜひご覧ください!
団体名 | 吉田山の里山を再生する会 |
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代表者 | 清瀬 みさを |
所在地 | 〒606-8313 京都府京都市左京区吉田中大路町 23 - 2 福井様方 |
団体について |
2008 年 7 月 1 日に設立し、吉田山の自然環境を整備・修景し、人々が集い、楽しめる吉田山の里山を再生することを目的としています。 |
メール | yoshidasatoyama@gmail.com |
団体名 | 京都市市民活動総合センター |
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名前 |
奥野 智帆 事業コーディネーター |
Web サイト | http://shimin.hitomachi-kyoto.jp/ |
https://www.facebook.com/shimisen |