声よ ふたたび

掲載日:2022 年 10月 28日  


 医療技術が進んだことで、がんを治療しながら働く人や、再発することなく5年以上生存される人が増えています。そのためには「がんとともに生きる」ための社会づくりが必要です。
「がんとともに生きる」というキャッチフレーズからは、医療や保険商品などをイメージしがちですが、実は市民活動分野においても様々な団体が早い時期からこの課題に取り組んできたことをご存じでしょうか。
 今号では、喉頭がん、咽頭がん、食道がんなどで声帯を失った人に対し、ピアサポートで社会復帰をお手伝いしている「京都喉友会」にスポットライトをあてました。

このページのコンテンツは、京都喉友会 さんにスポットライトをあてその活動を紹介する記事です。

市民活動セクターにおける「患者同士の支え合い」

 病気になった人を支えるのは、医療だけではありません。治療や療養生活においては、いろいろな悩みや不安が出てきます。また、病気そのものよりも、日常生活における人との関係や社会復帰について気にかかることも多く、誰にどのように相談すればよいのかわからないと思い悩んで、孤独感が深まる原因になることもあります。このようなときに、よりどころのひとつとなるものが、「患者同士の支え合い」です。
 患者会、患者サロン、ピアサポートなど、様々な「患者同士の支え合い」があります。当事者同士だからこそ話すことができる、思いを共有できる場があることで「悩んでいるのは自分ひとりではない」「同じような問題を抱えている人がほかにもいる」ということがわかるだけでも、気持ちがずいぶん楽になるものです。

 がんは罹患者も多く、部位によって症状や悩みが大きく異なります。そのため部位別の患者会や患者サロンが開催されています。

喉頭摘出手術の意味するもの

“のど” は食事の際には食べ物の通り道となり、呼吸の際には空気の通り道となります。この仕分けをしているのが喉頭(こうとう)です。喉頭は気管の入り口にある器官で、喉頭蓋(こうとうがい=喉頭のふた)や声帯(せいたい)をもっています。喉頭蓋や声帯は呼吸をしているときには開いていて、物をのみこむときにはかたく閉じて食物が喉頭や気管へ入いらないように防ぐ役目をもっています。また、声帯は、発声のときには適度な強さで閉じて、吐く息によって振動しながら声を出します。すなわち、喉頭には、呼吸をする、物をのみこむ(嚥下)、声を出す(発声)という 3 つの重要な働きがあります。

一般社団法人 日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会 HP からの引用

 こうして身体の機能を文章にしてみると、私たちの身体がいかに複雑につくられているかということに驚きます。歩く、寝る、食べる、話す、排せつする。「あたりまえ」と普段思っていることは、この複雑な機能が働いてこそ得られる「有り難い」ものだと感じることができます。
 喉頭がん、咽頭がん,食道がん、では治療のために声帯のある喉頭を摘出しなければならいことがあります。つまり、喉頭摘出手術を受けることは、「生まれ持った声を失う」ことになるのです。

術前術後の体(「京都喉友会」パンフレットより)

 例えば喉頭がんの患者数は 50 歳代から増加し、70 歳代でピークを迎えます。喫煙および飲酒がリスク因子として知られており、男性に多いという特徴があるそうです。50代だと働き盛りの年代。最近は 70 歳を過ぎても現役で働く方が増えています。
 そんなときに「声を失う」ことが、単に「機能を失う」だけではない、ということは容易に想像できます。仕事を失うことになるかもしれませんし、それにより経済的不安につながるかもしれません。家族や仲間など大切な人とのコミュニケーションにも影響を及ぼすかもしれません。

 しかし、手術によって声帯が摘出されても、「新しい声」を得ることが可能なのです。

 新しい声の獲得方法

喉頭摘出者(以下、喉摘者)が獲得できる「新しい声」には、いくつかの方法があります。

 代表的なものが、空気を飲み込み、その空気をゲップのように出すことにより声を出す「食道発声」です。器具を使わず自分の体を使うので、健常者に近い自然な話し方ができますが、一般的に声が小さく人込みでは聞き取りづらく、また習熟には時間がかかります。
 のどに器械をあて口パクで発声する「 EL(電気式人工喉頭)発声」は、短期間で習得が可能で、器具の音量調整をすることにより大きい声でも話せます。しかし、機械音声のため声が平坦になりがちで、感情が表現しにくく、音量が大きいと周囲の人が違和感を持つこともあります。
 手術で気管と食道をつなぐ連絡路(シャント)をつくり、呼気で食道の粘膜を振動させて声を出す「シャント発声」は、術後すぐに声がでることが多く、早期の社会復帰が可能です。しかし、数か月ごとに病院での器具の交換や、日に数回のブラシ掃除も必要です。

発声方法(「京都喉友会」パンフレットより)

 それぞれの発声方法に利点と欠点がありますが、共通しているのは「新しい声の習得には訓練が必要」だという事です。この「第二の声を取り戻す」ための発声訓練(教室)を京都で 67 年間もの長きにわたり担ってきたのが、「京都喉友会」です。
 欧米ではこれらの発声訓練は、言語聴覚士が主に担っているそうですが、日本では患者同士による訓練・指導が長く行われてきました。

 「京都喉友会」現会長の林田五郎さんは、55 歳の時に喉頭を摘出しました。当時、林田さんが担当となり新しいプロジェクトに向けて準備を進めている最中だったため、すぐに社会復帰をする必要がありました。そこで術後、5 か月ほど「京都喉友会」が実施する発声教室で食道発声の基礎練習を重ね、あとは仕事に復帰する中でよりよい発声ができるようになっていったそうです。

「発声訓練」の担い手

 喉摘者自身による「発声教室」は昭和 24 年( 1949 年)大阪で産声を上げました。続いて昭和29年に東京、昭和 30 年に京都で生まれ、その後各地に自発的に団体がつくられます。やがてネットワーク団体となる日喉連(特定非営利活動法人日本喉摘者団体連合会)が組織され、喉摘者自身が発声法を習熟し「発声訓練士」となる仕組みも整備されていきました。

発生教室の様子

 戦後間もない時期から、また、日本各地にこのような取組みが広がっていった要因は、いったい何だったのでしょうか。
 林田さんにお聞きすると、次のように答えてくださいました。
「当時、器具を使った発声方法でしたが、『食道発声法の研究発表』が学会で発表されたのが契機となり、各地の医療関係者と患者が連携して、器具を使わない食道発声に向けたリハビリに取り組むようになったとの事です。京都では、第一日赤病院の菅野先生はじめ京都大学病院や京都府立医科大学の教授の皆さんとの連携で、食道発声を主体とした教室として開始されました。当時は全国的にも注目、教室の創立には百名以上の皆様が集まり、ラジオやテレビでも報道されたと聞いています。」

発声訓練以外のレゾンデートル(存在価値)

 全国の発声教室は、発声訓練のためだけではなく、情報交換の場でもあり、同じ病を持つ者が互いに励まし合い、いたわり合う場として、活動を継続・発展させてきました。
 「京都喉友会」の発声教室は、どのような形(発声方法)であれ、日常生活の中で少しでもいいからコミュニケーションが充実し、家族や周りの人と共に楽しい生活を送り、積極的に社会参加して、術後も充実した人生が送れるよう「この会があって良かった」と喉適者の皆さんから感謝され信頼される会を目指してきました。

  現在「京都喉友会」の理事で指導員もしている粟田強さんは「今日の教室にも初めて参加する人がいました。自己流のEL(電気式人工喉頭)での発声がわかりづらいと家族から言われ、習得したいと思われたそうです。声を獲得したいと思うのは、今まで通りの社会参加のカタチを望むからです。」と話してくださいました。
 粟田さんは 54 歳の時に喉頭摘出し、営んでいた会社を廃業しました。発声教室には練習を目的として通うだけではなく「みんなと会いたい、同じ病気のなった仲間と接していたい」という思いが強かったと言います。
 「京都喉友会」には、「声のふるさと 京都喉友会」という題の会歌があります。会員が作詞し、ご夫人が作曲しました。

継続は容易ならず

 「京都喉友会」では京都府下 3 か所(京都市、舞鶴市、福知山市)の中核病院を拠点に発声教室を開催していました。会員の少数化・高齢化により北部の舞鶴教室と福知山教室は休止、その後南丹教室が 5 年前誕生しました。3 年前のコロナ禍から京都教室・南丹教室は今までの活動拠点を第一日赤病院から「ひとまち交流館京都」で、南丹教室を「口丹波勤労福祉会館」で開催しています。京都教室は固定曜日や土曜開催の開催など利用し易い環境から、抽選による会場確保の為、曜日不定の開催回数減になり、コロナ禍と相まって参加者は減少しました。
さらに、術前術後の不安解消のための「心のケア」を目的とした出前相談、会員の親睦会を催し、各種関連団体との交流なども行っています。

佛教大学での講義(人工喉頭実技指導)

  前会長の藤井猛さんも、喉頭摘出時は会社員で役職もあり、仕事が休める状態ではありませんでした。平日は参加できないから、毎週土曜日、京都市から福知山まで発声教室に通っていたそうです。
 複数地域での教室運営をはじめ、会の運営まですべてを喉摘者である会員が担っていくことは、並大抵のことではありません。一体どうやってこれまで活動を継続してこられたのでしょうか。

 現在、「京都喉友会」の会員は 103 人。内、運営を担っている役員は 12 人です。指導員が役員になる傾向があります。入会される方も医療技術の向上で高齢化しています。会は限られた方しか会員になることが出来ません。その分、他の NPO・市民活動セクターの高齢化による危機と比べても各段と深刻です。
 「京都喉友会」が 2022 年 9 月に発行した会報のテーマは「持続可能なように」。林田さんは「地域に喉摘者がいる限り、新たな喉適者が生まれ出る限り喉友会活動は社会に必要な会です。自分たちが後輩にその技術や思いを伝えていく、この共助の仕組みを継続しなければと、みんなが思う事でやっていかなければ活動の継続はできません。」と取材でも語ってくれました。

 しかし、コロナ禍は継続の困難さに拍車をかけています。コロナ前は発声教室に 40 ~50 人前後が参加していたそうですが、コロナ禍になり拠点も変わりで参加は 20 ~30 人程度に減少しました。病院を活動の拠点にしている。小規模な喉摘者団体の中には、解散してしまったところもあるそうです。

コロナ禍での初声教室の様子

持続可能なように

 粟田さんは、会へのコミットメントに対する自身の気持ちの変化を語ってくれました。
「最初は、発声教室に行くことそのものが楽しかった。だから今度は自分が指導員となり、喋れたことのよろこびを教えてあげたいと思いました。指導員になってからは、運営にも積極的にコミットしようと思うようになりました。」

 藤井さんは、「話すことが上手になっても、それ以上の負担を求められたら辞めていく人もいます。自分たちの関わり方の反省をしながら、良い対人関係をつくっていける人が指導員になることが大切ではないかと考えています。」と今までの運営を振り返られます。
 林田さんは、「会員の皆さん同志はコミュニケーション力をつける目標は共有していますから。喜びも共有できます。あとは魅力的な組織運営をしたいなと思います。」と話してくれました。一方で、会報の巻頭言には「今後積み上げる活動は、連帯・連携・協働をベースに、“仕組みとして機能する事” が大切な要素だ」と綴っています。

 会員とのつながりを強化するためのニュースレター・会報の発行や、オンラインを活用した発声教室の取組みなど、現役員のみなさんは、67 年間継続してきたこの活動を、さらに次の世代へと継承していくために、新しい会の在り方を考え始めています。

京都喉友会 

写真左から
<副会長>粟田 強さん、<理事>藤井 猛さん、<会長>林田 五郎さん

※ 個人の肩書や所属する団体は、執筆時点 (2022年10月) の情報です。

団体名 京都喉友会
代表者 林田 五郎
団体について

「京都喉友会」は、喉頭がん、咽頭がん、食道がん、甲状腺がんなどで声を失った者が組織する団体です。
声を失った者がお互いの助け合いのもと、コミュニケーションで必要な新たな声の訓練を通して、社会復帰と会員相互の親睦、交流を図っています。

メール kyotokoyukai@gmail.com
Web サイト http://www.kyotokoyukai.com/

この記事の執筆者

名前 土坂のり子

京都市市民活動総合センター 副センター長



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